一生の終わりに、 もし私たちが、「私の人生はつまらなかった」というとしたら、人生は、私たちに向かって、「あなたこそは、あなたの人生を意味あるものにも、つまらないものにもすることのできる唯一の人でした」と答えることでしょう。
聖書に「コリント前書」という箇所があって、その十三章に『たといわたしが、人々の言葉や天使の言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしはやかましい鐘や騒がしいドラと同じである。たといまた、わたしが予言する力を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰を持っていても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』とあります。
つまり、どれほど知識があっても、どんな大事業を成し得たとしても、その知識が、愛に変わらない知識であれば無駄だということ、 どんな大事業も、それが愛に促されてされるのでなければなんにもならない、ということが記されています。それは、反対から言えば、愛があれば、それが、たとえ小さな愛であったとしても、その行為には価値があるということを言っているわけです。
たとえ寝たきりの子供でも、または台所でじゃがいもの皮をむく主婦であって、そういう時間を過ごしているとしても、それが、誰かのために、世界中で苦しんでいる人、悩んでいる人、または飢えている人々のため、戦火にさらされている人々、そういう人たちを考えながら、その人たちに慰めが与えられるように、平和な生活が訪れるようにという愛をこめて行われた時に、その小さな行為、その過ごされる時間というものには、永遠の価値が与えられ、神の御まなざしの前に、財産家が多くの寄付をするよりも、政治家が大きな事業をするよりも、尊くうつるのだという価値観が、ここにございます。
アメリカの修道会にいた際に、次のような学びがあったとも言います。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていたら、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「べつに、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
人の幸せを祈ることは、世界の飢えている人や、苦しんでいる人、戦禍にさらされている人たち、といった大きなことだけをさすのではない。
小林正観さんはそれを、
「この食事をいただいた人が元気になってくれるように」
「この服を着る人が幸せになってくれるように」
「この廊下を歩く人が笑顔で過ごせるように」
「この仕事で関わる人が、みんな幸せになってくれるように」と念をこめたら、それは単なる仕事でも、雑用ではありません。
と言っている。すべての仕事や雑用は、まわりの人たちの元気や幸せを祈るための大事なきっかけであり、神様から与えられたチャンスだと考えて行うことができると述べています。
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