実は、手賀村という名称の村が旧沼南町に属していてあったそうで、知らなかったが手賀沼周辺の文化圏としてはどうも我孫子の沼向こうのほうが由緒ある土地柄だったようだ。
平安時代に歴史を遡り、当地の豪族たちの様子を押しはかることができる。江戸時代の沼南町は天領(幕府の直轄地)と駿河国田中藩の飛領地、それに旗本の知行地として三分されていた。旗本であった本多氏が代々徳川家に仕え、元和2(1616)年ここ下総国相馬郡(沼南町)の大井・高柳・藤ヶ谷・塚崎・五条谷・若白毛村1万石を領して大名に列せられた。元禄16(1703)年には上野国沼田藩主として入封、さらに亨保15(1730)年、本多氏6代目の正矩が駿河国田中藩3万石に移封されて、それに相馬郡1万石を加えた4万石の大名となった。
幕末の動乱の中、水戸藩内の尊王攘夷の過激派が同じく藩内の保守派・諸生党と対立して筑波山麓に挙兵し、天狗党と名乗る。元治元(1864)年・かつて水戸藩の公子で現将軍の徳川慶喜に尊王攘夷の直訴をすると称して上方へ向かうが、途中で金沢藩前田家の兵に行く手を阻まれ降伏などと、志士たちが闊歩した時代と沼南のエリアは我孫子以上に古い歴史があった。
面白いのは、豊島氏、坂巻氏などがこの辺りでも良く聞くお名前が領主であって、布佐のお城の城主だったり、柏の豪族だったりなのだから、我孫子の市議会にもおられるのだから、脈々と続いてきたのかと、興味がそそられるところだ。こうした我孫子の町だけでなく、手賀沼の周辺に数多の史跡があるのだから恐れ入る。
いいねと言われる街にしたい、それにはどんどんこうしたことも市民が知って、まちづくりへの協力とお知恵を拝借しなくてはいけないのだ
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