大正11年(1922年)、当時の東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていました。その最中に発生したのが、翌12年9月1日の関東大震災でした。このとき、この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具を伝って火が広がり、多数の焼死者、身元不明の方々がでました。その後、東京市(当時)は、東京を復興させた大事業を記念し、多くの市民の供養をするために、公園内に震災記念堂(現東京都慰霊堂)と復興記念館を1930年(昭和5年)に建設しました。その後には、東京大空襲の戦火にまみれた身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して慰霊する施設となっています。
毎年、9月1日が防災の日となったのは関東大震災にちなんだものでしたが、制定の前年の1959年(昭和34年)には、伊勢湾台風が襲来して、多くの人命を失いました。その制定の当時の8月〜9月1日頃は台風の襲来が多いとされ「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められているのだということで、今は異常気象が度重なりこの時期より台風発生は変則的です。「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心であった。しかし、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われる日となっています。
日本は、非常に大きな災害に幾多となく襲われて、力を合わせて悲しみを乗り越え、慰霊をしているのだと改めて実感しました。公園の一角には、弔霊鐘(中華民国仏教団寄贈)、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑なども設置されてありました。
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