かつては、パスポートを取るために県庁に行かなくてはなりませんでしたが、それも今では松戸でも出来ることになり、その用はなくなりました。何しろ、千葉県庁、その隣にある県議会にいくのには、電車のアクセス良くないの二の足になるのです。幸い、車で6号をひたすら行くとナビに従って1時間くらいです。
県庁脇にある建物が県議会で、その入口の展示も興味深いので是非一度訪ねていただきたいです。下記は、旧県議会の建物の模型です。なかなか立派な建物だったことが分かります。千葉県も空襲にあって、これら主だった建物が爆撃目標となり焼失しました。
米軍が県内で爆撃を行ったのは数回あったのですが、千葉市を目標にした空襲は、昭和20(1945)年6月10日と7月7日(七夕空襲)の2回。この空襲で、学校を含む中心市街地の約7割(約231ha)が焼け野原となりました。この2度にわたる空襲の死傷者は1,595人、被災戸数8,904戸、被災者4万1,212人に及んだ(昭和20(1945)年12月末の人口は、9万5,903人)とあるので、千葉軍都への攻撃がいかに激しかったかがわかります。
千葉駅前から南東方向に延びるメインストリート両側には大型店舗や銀行などのビルが建ち並んでいる。その大通りを300mほど行くと、京葉銀行本店のビル。その歩道上、車道際にあるのが、「千葉県女子師範学校 同附属小学校・幼稚園 跡」の祈念碑です。千葉機関区の県立千葉高等女学校、千葉市富士見国民学校女子師範学校(国立千葉師範学校女子部・附属小学校と幼稚園も)などが攻撃されたのは、女子部の敷地に日立航空機千葉工場の分散工場があったため、空襲の目標になったということです。女子師範学校の8人の生徒と、教師1人・雇員1人の10名が命を奪われ、多数の負傷者をだしたのは県民の多くは知らないでしょうが、我孫子の元女性県議がここの出身であったことから話を聞いていました。千葉市街地は焦土と化し、元京成線の千葉駅だったところは、現在は公園中央となっています。千葉市大空襲から復興したのを記念して、駅の跡地に公園が作られ、昭和55年に碑が建てられたと記されています。碑の裏面には駅周辺だけでなく、かなり広い地域(軍の施設があった場所など)が復興計画に含まれていたよことが分かります。

千葉県の歴史をよく認識し、県議会の状況を知ったり、また千葉県内を旅して周るなどを通じて、自分たちが地元そして千葉に住んでいることを誇りに思うようになると良いと思います。もっと千葉ライフを楽しみたいと思いますので、さらにご紹介していきたいと思います。ご一緒に千葉を巡ってみようと思われる方は、ninakaizu@gmail.comへメール下さい。
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