1934〜1936年の「長征」:国民党の包囲攻撃(囲剿)を受けて、紅軍は江西から陝西省の延安へと1万キロ以上の大移動を行った。この過程で毛沢東の指導権が確立され、共産党の戦略が大きく転換していく。
1936年『中国革命戦争の戦略問題』の文書の中で毛沢東は、1936年以降を「抗日戦争期」と位置づけている。
つまり、ここから紅軍の主敵が、国民党ではなく日本軍へと変わっていくという認識が明確になった。
それでも、史実にも不思議な事が起きる。中国の美人三姉妹が、この渦中にあって、世界中が注目する姉妹愛が引き裂かれる、イデオロギーに翻弄される愛憎劇になる。1997年には香港・日本の合作映画で、原題は「宋家皇朝(The Soong Sisters)」が制作された。名家・宋家の三姉妹は父父の教育方針でアメリカ留学を経験し、自由で知的な女性として育つ。写真が残っているが、3人とも麗しい美形で、それぞれ中国の歴史を動かす人物と結ばれて、戦争がなければ仲のいい三姉妹だったはず。
−−長女・靄齢(アイレイ)は財閥・孔祥熙と結婚。次女・慶齢(チンリン)は孫文の秘書となり、日本への亡命後に結婚。広東に樹立した政府の中から裏切りの攻撃を受けた孫文は、蒋介石に救助される。国民党を樹立したが、1925年に孫文亡くなる。三女・美齢(メイリン)は、長女の勧める蒋介石の妻となった。孫文死後、国民党の内紛など、慶齢はソ連へ渡る。その後、帰国した慶齢は蒋介石を非難する相いれない関係となるが、蒋介石救出に力を合わせる三姉妹。1936年、救出された蒋介石は挙国一致で抗日を宣言する。「抗日」という大義を掲げることで、農民や知識人の支持を得て、国民党に代わる「新しい中国の担い手」としての正統性を築こうという意識に変わった。中国の抗日意識は単なる対外戦争の記憶だけでなく、国家のアイデンティティや正統性と深く結びつけている。
1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化し、国民党と共産党は一時的に手を結び、「抗日民族統一戦線」を結成「第二次国共合作」。紅軍は「八路軍」として再編され、日本軍との戦いに本格的に加わるようになった。この転換は、単なる戦術の変更ではなく、共産党が中国全土での支持を広げるための戦略的な選択でもあった。 その流れの中に、三姉妹の陰での働きがあった。その後、蒋介石は美鈴らと共に台湾へ逃れた。長女は香港、次女は上海へ移ったまま、再会することはなかった、彼女たちの歴史(her stories)である。
北京大学にいくことがあれば、頤和園にはドイツ、英国が侵攻したと書いてある碑があるのを見るといい。知ってる人は知ってるし、覚えて置くように誰かがそこに設置したのだから。北京大学の西側に位置してる。清朝の乾隆帝が母の還暦祝いに造営した後に、西太后が莫大な予算を使って再建・拡張したことから、日清戦争敗北の原因の1つになったと言われている、広大な人工湖「昆明湖」と、山のような「万寿山」がある中国庭園の最高傑作とも言われてる。
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