そこで、“壊すことで新しい文学を作る”戦略をとった。人間の意識や夢を描くには、完全な言語は不十分だったと考えたからだった。
結果、世界の言語を混合し、英語を超えた作品を作ったといえる。
だからジョイスは、英語が完全じゃないからこそ、世界最高の作家になれたとも言えるのです。つまり
「完璧な英語など自分にはありえない」しかし、「だからこそ、英語をねじ曲げ、自分の言語に作り変える」という姿勢なのです。
これは世界文学の革命でした。アイルランド人としての「言語の痛み」が背景にあるということなのです。
ジョイスの英語は“壊れている”のではなく、「壊すことでしか見えない世界」を描いた英語なのです。
「深く」具体例つきで、ジョイスが壊した英語・アイルランド英語の背景・言語実験の仕組みを読み物として楽しめるよう、わかりやすさと深さの両立を心がけ丁寧に解説します。
■1|アイルランド英語(Irish English)の特徴
ジョイスの英語を理解するには、まずアイルランド英語の性質を知る必要があります。
これは、イギリス標準英語とはかなり違います。
◆@ 語順の癖(ゲール語の影響)
アイルランド語(ゲール語)の語順 SVO → VSO の癖が残り、
例
“It’s yourself that knows it.”
(直訳:それを知っているのは“あなた自身だ”)
→ 普通の英語: You know it. で済む。
強調構文の多用がアイルランド英語の特徴。
◆A “after” 構文(ゲール語直訳的表現)
アイルランド人は現在完了を独自の形で言う。
例
I’m after eating.
(直訳:私は「食べたあと」にいる)
→ 意味:もう食べた(just ate)
◆B 助動詞の独自用法
“I do be thinking”
→ I’m often thinking / I habitually think のニュアンス。
これは標準英語にはない。
◆C 地元の語彙・言い回しの多さ
craic(楽しい時間・面白さ)
eejit(idiot)
grand(fine, OK より幅広い肯定)
こうした語彙がジョイスの作品にも大量に出る。
■2|ジョイスが“壊した”英語の法則
ジョイスは、英語をただ使うのではなく、英語そのものを実験材料として解体しました。
とくに『ユリシーズ』以降で顕著です。
■(A)法則破り@:意識の流れ(文法を無視した思考そのままの文)
■例:『ユリシーズ』より(スティーヴンの独白)
“Pain, that was not yet the pain of love, fretted his heart.”
文法的には成立しているが、
意味の方向が飛ぶ・抽象が一気に降ってくる=思考そのもの。
さらに別の例:
“Why are they so secret? Keeping it up−keeping it up.”
この “it” が何かは書かれない。
曖昧な指示語を連発するのも“考えている最中の文章”の再現。
■(B)法則破りA:文体の変形・模倣・パロディ
『ユリシーズ』では、章ごとにリズム・語法・文体が完全に変わる。
例:「新聞文体の章」
一段落ごとにパロディ見出しがつく:
“IN THE WAKE OF THE NEWS”
“THE CHILDREN ARE THE FUTURE”
だが内容とは完全にズレている。
→ 言語の「権威性」を破壊している。
■(C)法則破りB:混成語(fusion words)の創造
これは『フィネガンズ・ウェイク』で極端になります。
英語+非英語+ダジャレ+歴史的響きを一単語に詰め込む。
◆例:
●“riverrun”
river(川)
run(流れる)
river running
riverrun(アイルランドの川の名前の連想)
複数の意味が一語に溶ける。
●“meandertale”
meander(曲がりくねる)
tale(物語)
meaner, tale-teller 等の音
→ **“曲がりくねった物語”**も“卑しい物語”も“語る物語”も同時に含む。
●“laughtears”
laugh(笑う)
tears(涙)
→ “笑いと涙が同時にある状態”を一語で表現。
●“thunderword(100文字以上の雷語)”
ジョイスは雷鳴の音を100語以上の世界言語を混ぜて表現した。
例の一つ:
“Bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonnerronntuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!”
意味?
→ 雷が落ちる瞬間の「世界全体の音」
(読者も批評家も意味を一意に特定できない)
■(D)法則破りC:文法の境界を溶かす
ジョイスは文法的カテゴリーを壊し、人間の思考・夢の展開に合わせて、
名詞が動詞になり、動詞が形容詞に変わり、文章が音楽のようになる。
例
“He warshed and rinsed.”(“washed” と “war” の合成)
“the waves went their ways”(way と wave の音の重ね)
“she is jimmying open the jar”(Jimmy=男名を動詞化)
■(E)法則破りD:夢・無意識の言語化
『フィネガンズ・ウェイク』は文章構造そのものが夢と同じ。
夢では人物が途中で別人になる
言葉が変形する
ひとつの言葉が複数の意味を持つ
連想が飛ぶ
→ ジョイスはこれを言語で再現した。
■3|具体例:ジョイスの「壊れた英語」平易な説明
■例1:
“A day of dappled seaborne clouds.”
形容詞の連鎖でリズムを重視した文。
意味より音。
■例2:
“Hold to the now, the here, through which all future plunges to the past.”
論理破綻しているようで、
“未来が過去に落ち込む”という詩的構造になっている。
■4|なぜ「完全じゃない英語」が面白いと言われるのか
●@ 英語を“支配者の言語”から取り戻した
ジョイスにとって英語は
「借り物であり、支配者の言語」
だった。
その英語を壊して再構築し、自分の言語にした。
●A 英語の「限界」を超えて、人間の思考・夢を描いた
標準英語では表せない
無意識
連想
言語の芽生え
音
夢の混乱
を表現した。
●B 文法ではなく感性で読む文学
ジョイスの文章は“頭で理解する”より“感覚で味わう”文学と言われる。
『ユリシーズ』 と 『フィネガンズ・ウェイク』 は、どちらも「20世紀文学の最高峰」とされますが、性質がまったく異なります。
まずはわかりやすく、全体像(概略)をはっきりつかめる形でまとめますね。
■『ユリシーズ(Ulysses)』の概略
◆1. 物語の舞台
1904年6月16日のダブリンの“たった1日”。
その1日を、時間順に、町のあらゆる人物・場所・思考の流れを同時並行で描きます。
◆2. 主な登場人物
レオポルド・ブルーム(広告取りの中年男性)
モリー・ブルーム(妻。浮気中)
スティーヴン・ディーダラス(若い教師。ジョイスの分身)
この3人の1日が、さまざまな場所で交差します。
◆3. 特徴
○「意識の流れ(stream of consciousness)」
人が考えていることを、そのまま文章にしていく手法。
例)思考が飛ぶ、連想する、余計なことを考える、などがそのまま文になる。
○語りの文体が章ごとに変わる
新聞文体、演劇風、カトリック典礼、恋愛小説パロディなど、全章で文体が変化する大実験文学。
◆4. モチーフ
『オデュッセイア(Ulysses=オデュッセウス)』を“ダブリンの1日に置き換えた”構造。
ブルーム → オデュッセウス
モリー → ペネロペ
スティーヴン → テレマコス
という対応になっている。
◆5. 物語の核
市井の人間の、何でもない1日こそが“叙事詩”である、という思想。
最後はモリーの独白、
句読点のない長大な思考の流れの中で
「Yes」という言葉で終わる。
(この“Yes”は文学史上もっとも美しい結びと評される。)
■『フィネガンズ・ウェイク(Finnegans Wake)』の概略
※難解すぎて「世界で最も読まれていない名作」と言われる作品。
日本語訳も完訳がほぼ不可能とされるほど。
◆1. 舞台・登場人物
実はすべて**“夢の中”**が舞台。
物語は、ほとんどが「HCE」と呼ばれる父親の夢の世界。
HCE(父)
ALP(母)
シェムとショーン(兄弟)
イッシー(娘)
といった家族がいるが、夢の世界なので姿も名前も常に変化し、読者はつかまえられない。
◆2. 言語の特徴
この作品最大の特徴は、**世界中の言語を混ぜた「夢の言葉」**で書かれていること。
例:
英語+フランス語+ゲール語+ラテン語が混ざる
意味が一つに定まらない語が大量に出る
ダジャレ、語呂合わせ、地名の暗示などがひたすら続く
文法も崩れ、文章なのか音楽なのかわからない
つまり、人間の無意識を「言語」で再現しようとした作品。
◆3. 物語(あるようでない)
一応“構成”はあります。
○構図
人類史の循環
罪と許し
父と子の対立
男性原理と女性原理の交替
夢と現実の往復
しかしストーリーは溶けていて、
「夢が語る」「夢が記憶を混ぜる」「歴史と神話が一つになる」
という状態がずっと続きます。
◆4. 作品の終わり
最後は
“終わらずに始まりに戻る”
という円環構造。
終わりの一文がそのまま冒頭の文につながり、
本書全体が「無限ループ」になるように作られています。
→ 人類の歴史は一つの夢であり、終わりも始まりもない。
→ 言語もまた、流れ続ける水のように循環する。
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