102歳だった。以下の言葉を言われている。
《いただいた命に感謝して生きる》
「一切皆苦」という釈尊の言葉がありますが、生きていると時には死んでしまいたいと思うようなこともあります。
それでもこうして命をいただいて生かされていることに「ありがたいな」と感謝することが大事です。
その感謝の上で、いま目の前のことに全身全霊を込めて打ち込んでいくことです。
私も朝晩「きょうも生かさせていただいてありがとうございます」と神仏にお祈りすることを日課にしております。
これをすることによって自分の歩みを進めていくことができるんです。
しかし、私は自分がいくつまで生きようとか、もっと長生きしようといっ たことは一切考えたことがありません。
昭和二十年五月二十一日、出撃命令 を受けて出撃しようとした途端、「出撃命令取り消し」と待機命令を受けた。
死ぬつもりでいたのが、引き下ろされた。
その時の空虚感は九十八歳になるいまも続いています。
亡くなった戦友に対していまもなお本当に忸怩たる思 いなのです。
いまも私の後ろには多くの戦友たちの顔があります。
この頃は毎晩のように出てきます。
靖國神社に行っても「千よー」という声が聞こえてくる。
しかし、そんな時、私の中でこういう思いも同時に込み上げてくるんです。
「これまで元気で長生きできたのは、仲間が生かしてくれたのだ。仲間が自分の分も頼むぞと思って守ってくれた」と。
私はそんな仲間の分まで頑張ろうと、これまで一瞬一瞬を精いっぱい生きてまいりました。
「三冬枯木花(さんとうこぼくのはな)」という禅の言葉があるんです。
十二月、一月、二月の三冬、この一番寒い季節に立つ枯木が花を咲かせる。
「真冬の枯れ木に花なんか咲くはずがない」と思う人もいらっしゃるでしょうが、とんでもない。
枯れ木であっても内に秘めたる力があれば花を咲かせることができるし、花を咲かせようとする精進努力を忘れるな。
これが人間の生き方というものだと近頃思います。
先代は「死んでからが修行だぞ。あの世に行っても修行だぞ」とよく申しておりました。
年齢を重ねる度にその意味がだんだん分かってくるようになりました。
花を咲かせる力を持って枯れていけたらどうだろう。
生かされてきたいま、その思いをしみじみと噛み締め、ありがたく日々是好日(にちにちこれこうじつ)で前向きの心で歩んでおります。
人生はマラソンのようにも例えられる。42.195Kmを走り、ゴールがある。
しかし、そのゴールを目指して走っている選手は、ときに力尽きて、ゴールのテープを目前にして倒れてしまうこともある。
あるいは、ゴールの前でふっと力を抜いてしまう。
ほんとうは、テープの、3、4メートル先にゴールがあると思って走らなければいけないという。
そういう選手は、最後まで力を抜かず、鮮やかにゴールを走り抜けていける。
これは人生も同じだ。
定年が人生のゴールだと思っている人は、そこで力尽きる。
70歳が寿命だと思っている人は70歳で、80歳と思っている人は80歳で。
人生は終わりよければすべてよし、だと言われる。
「しり上がりによくなる人生」「老いてますます輝きを増す人生」を目指すこと。
「死んでからが修行だぞ。あの世に行っても修行だぞ」
ゴールを過ぎてなお走り続ける、という気概でこの世を生き抜きたい。
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