手賀沼新田によって寂れたかけた一帯のにも興の兆しがみられ、効果は大きかった。しかし、洪水がまたも再発すると、田沼意次の失脚となったため、再工事がされないまま中止された、それほど手ごわい水害地帯だったのだ。
その後に、近江商人の井上家が手賀沼干拓に取り組み、第4代佐次兵衛・徳栄が享保13年(1728年)に事業に着手。 干拓は洪水や資金難に悩まされながらも、代々の当主が挑戦を続けました。
井上二郎はその最終段階を担い、農地の拡大と地域経済の安定に貢献しました。彼は代々干拓に取り組んできた井上家の第12代当主として、事業を受け継ぐよう養子になり、江戸時代から続く壮大な事業の集大成を担う事になった。
戦後の新技術を導入し、昭和21年(1946年)から昭和43年(1968年)までの22年間かけて事業を完成させました。
干拓によって、手賀沼の水面積1,180haのうち543haが干拓され、449haの農地が造成されました。
🛠 主な工事と成果
• 手賀排水機場の設置により、利根川の高水位時でも排水が可能となり、洪水被害の軽減に成功。
• 用水施設の整備によって、周辺農地2,620haの土地改良が進み、農業の近代化が図られました。
• 干拓地は「相島新田」と呼ばれ、井上二郎の功績を讃え、井上家の住宅の向いに救世済民碑が建立された。
• 文化庁により無形文化財の認定をうけた。その後、我孫子市保存史跡と認定され、公開されている。
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