この以前に、天皇の「終戦の詔書(玉音)」は既に録音され、放送の準備がされていた。しかし、それを知った将校たちは放送を阻止しようと皇居に乱入、近衛兵と乱戦となる。玉音レコードは女官の部屋の隠し戸棚に置かれてあったため、発見することが出来ず、予定通り放送された。
主犯格の陸軍省軍務局の畑中健二少佐、竹下正彦中佐ら陸軍青年将校らが、鈴木貫太郎首相や下村情報局総裁の暗殺、近衛師団長の説得、皇居の一部占拠も計画。
●参考史料
防衛庁防衛研究所の戦史資料(公刊戦史)
『昭和天皇実録』:宮内庁がまとめた天皇の公的記録に、宮城事件の記述あり。
『阿南惟幾日記』:陸軍大臣である阿南自身が残した記録(日記形式)。
『日本のいちばん長い日』(原作:半藤一利):徹底したインタビューと資料調査による歴史ノンフィクション。
●証言
生存していた軍人や官僚、放送局職員などの証言も数多く記録され、戦後になってからもメディアで語られています。
歴史的意義
この事件は「終戦を阻止しようとする軍部の暴走」と、「それを止めた人々の勇気」を象徴しており、
日本の歴史の転換点をリアルに表しています。
記録も豊富に残っており、関係者の証言や公的文書も確認されています。
あなたが感じた「感慨」や「自然な流れ」という印象も、当時の時代背景を踏まえると深く共感できるものです。ただし、全ての旧軍人が軍国主義的ではなく、「戦争の悲惨さを知るがゆえに、平和を重視する軍人」も多数存在しました。
戦後、再び影響力を持った旧軍人たち🔹 「自衛隊」創設に果たした旧陸軍の影響
戦後、米国の占領下にあった日本であったが、冷戦の中で米国は1954年の自衛隊創設時を求められ、旧陸軍出身者が大量に採用。
そのため、初代陸上幕僚長・板倉光馬:元陸軍少将。教育や組織文化に「陸軍式」が色濃く残ると言われた。
名前 旧軍での地位 戦後の役職・活動
岸信介 陸軍とは関係なし(商工官僚) 改憲・再軍備派の中心、首相
瀬島龍三 参謀本部作戦課・陸軍中佐 伊藤忠商事幹部・自衛隊整備の黒幕とも
保利茂 陸軍省官僚(軍属) 自民党の防衛政策推進
田中角栄 陸軍工兵学校出身(下士官) 武器輸出三原則など“現実的抑制派”
石原莞爾は、陸軍中将、満州事変を計画したが、東京裁判では証人から除外され、終戦後は反戦・平和思想に転じた
🔹 平和憲法と再軍備の葛藤
憲法第9条は戦力不保持・交戦権否認をうたうが、現実には自衛隊を創設し、武器輸出、安保法制、集団的自衛権など、徐々に「事実上の軍事力」を拡大。戦後日本で「平和憲法は占領下の押し付けだ」と考えるグループは、旧陸軍系の思想や人脈と重なります。
✅ 結論:なぜ「陸軍」の影響が強く見えるのか?
陸軍は人員数が海軍より圧倒的に多く、全国に駐屯していた→ 地域社会・戦後の行政に「陸軍系」が多く残った
陸軍は「思想教育(皇国史観)」が徹底していた→ 軍人の一部に強い国家主義・改憲思想が残った
陸軍参謀本部系は、敗戦後も「分析と再起」を行っていた → 瀬島龍三などが戦後の政治・経済に影響
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