1979年に当時の大平正芳首相が、日本型福祉社会と家庭の関係について「家庭は、社会の最も大切な中核であり、充実した家庭は日本型福祉社会の基礎であります」(1979年1月の第87 回国会の施政方針演説)と発言している。
30年前と今とでは、死を取り巻く社会の環境が大きく変化した。例えば、厚生労働省「国民生活基礎調査」によれば、1975年には三世代同居は65歳以上の人がいる世帯の54・4%だったが、1980年には50・1%と半数になり、1990年には39・5%、2019年には1割を下回り、2023年には7・0%にまで減少している。
この頃は、高齢者の半数以上は嫁が居て、子や孫に囲まれて生活していたのだから、「育児や看護、介護は、三世代の長男の嫁が中心で担うのが基本」という考え方に疑問を呈する国民は少なかったのだろう。65歳以上の人がいる世帯のうち、ひとり暮らしの高齢者は1975年には8・6%にすぎなかった。そんな社会では、結婚できない、または死に別れて「ひとり暮らしをしている高齢者はかわいそうな存在」だったのだ。
1986年調査の内閣総理大臣官房広報室「老人福祉サービスに関する世論調査」では、年をとって寝たきりの病気になった場合、実際の身の回りの世話をしてもらいたい人として、「配偶者」を挙げた人が35・4%で、次いで「娘」(16・7%)、「息子」(12・1%)、「嫁」(11・6%)となり、「病院、特別養護老人ホーム等の施設」を挙げた人は11・0%にとどまっていた。しかも「家族だけで身の回りの世話をできると思いますか」という質問に対しては、「十分できると思う」(13・4%)、「なんとかできると思う」(49・2%)と合わせて6割以上が可能だと回答した。
厚生労働省「人口動態統計」で、1970年に亡くなった人のうち、自宅で亡くなった人は56・6%と過半数を占めていた。ところが、1980年には38・0%と大きく減少し、代わって病院で亡くなった人が52・1%と半数を超えた。わずか10年間で、死に場所が自宅から病院へと変わった。ちょうど三世代同居が半数を切った時と合致している。つまり、死に場所が自宅から病院へと変わった背景には、長男の嫁になる事を忌避する時代になって、核家族が進んで三世代同居の減少がおきた事で、「介護や看取りが家族の役割ではなくなった」ことが大きく影響している。
マンションには仏壇がない。実家にあるまま、仏壇の継承もされないし、置く場所もないのだ。ご近所に亡くなった事を伝える世間体もコロナ禍で変わってしまったことで家族だけの送葬、一人っ子の増加、未婚化の増加で、家族がいなくなる時代か加速化。これも欧米化と言えば言える。
参照 朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観 「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日新聞出版)
2025年04月10日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック