スウェーデンの認知症ケアの手本とされるデイサービスホーム「シルビアホーム」
スウェーデンのほとんどの高齢者は、現在暮らしている所で延命されずに緩和ケアを受けて亡くなります。スウェーデンの緩和ケアとは、どのようなものでしょうか。長谷川さんに聞いてみました。
看護師の判断でモルヒネ投与も
(長谷川佑子 認知症専門看護師)終末期の緩和ケアは、病院でも高齢者施設でも、痛みや不安などのあらゆる苦しみをなくし、あるいはできるだけ少なくし、患者さんが穏やかに過ごせるようにすることです。
医師は、終末期の苦痛緩和のために「緩和ケアセット」という複数の薬剤を処方します。モルヒネの皮下注射などの麻薬も含まれています。看護師はその中から、自身の判断で、いつでも本人が望むだけ、薬を投与することができます。家族には「この薬で痛みがとれる分、ほぼ昏睡(こんすい)状態で会話ができなくなったり、呼吸が弱くなって命が短くなったりすることがあります。でも、穏やかに最期を迎えられます」と説明します。多くの家族は「命が短くなっても苦痛をとってほしい」と言い、薬剤の使用に納得してくれます。そのため、ベッドサイドで付き添っている時に、本人が少しでも顔をしかめることがあれば、職員を呼んで「薬を投与してほしい」と言います。
痰が出ないので吸引はしたことがない
日本の病院に勤めていた頃、終末期の患者さんは痰がひどく、吸引をするのは当たり前でした。痰が取れると呼吸は楽になりますが、吸引する時にせき込み、とても苦しんでいました。ところが、スウェーデンの病院では、高齢期疾患科に勤めていた7年間に痰の吸引をしたことは一度もありません。高齢者施設に移ってからも吸引をしたことはありません、痰がほとんど出ないからです。時々、心臓の働きが悪く、肺に水がたまる患者さんがいますが、点滴や経管栄養をしないために脱水になります。2、3日もすると、静かな呼吸になります。スウェーデンでは、終末期の患者さんの呼吸がとても穏やかなことに驚きました。 日本では、終末期であっても点滴や経管栄養をします。体に余分な水分を入れるため、痰が多くなったり、肺に水がたまったりして、患者さんに苦痛を引き起こしていたことに気づきました。
ドゥーシュテディングとは、この方法は、物事を注意深く、優しく、急がずに整理することを勧めます。過去を否定することではなく、過去が支配しないようにすることです。言い換えれば、それは私たちが周囲の人々だけでなく自分自身にも贈る贈り物なのです。なぜなら、心の底では、愛する人たちが、2007 年の領収書や顔も忘れてしまった元恋人からのラブレターがいっぱい入った引き出しを開けるなんて、誰が望んでいるでしょうか。
スウェーデン式デスクリーニングは、物とより健全な関係を築こうとしているのです。自分のペースで整理できるとわかって、目的は、片付けロボットになることではなく、意図を持って片付けることを学ぶことです。私たちは静かに部屋ごとに、引き出しごとにそこへ行き、自分自身に正しい質問をします。
整理整頓は楽しい内省となり、ほとんどセラピーのようなものになります。
物語を語る物
ドゥーシュテニングが特別なのは、その人間的な側面です。私たちは物を捨てるのではなく、渡します。私たちは与えます。私たちは伝えます。なぜなら、生きている人に古い時計や写真アルバムを贈ることは、自分自身の一部を贈ることと同じだからです。私たちは思い出、逸話、笑顔を共有します。
中には、重要な品物にその歴史や価値を説明する小さなメモを残す人もいます。そして、ここで、döstädning は貴重なものに触れます。単純な分類を、バトンタッチ、つまり感情的な遺産へと変えるのです。 「その瞬間」を待つ必要はありません。それは今ここにあります。
私たちが考えるよりもはるかに大きな影響
この方法は、家の中に秩序をもたらすだけでなく、私たちの心に魔法のような効果をもたらします。余分なものを取り除くということは、目に見えない重荷から解放されることも意味します。
視覚的な混乱が減り、精神的な負担が軽減されます。それだけではありません。döstädning は本質的に環境にも優しいのです。私たちは寄付し、リサイクルし、再販し、ゴミを避けます。それぞれの物が新たな命、二度目のチャンスを見つけ、それは美しいことです。
一つの方法、千のメリット
döstädningでは、あなたに適応する実用的、優しく、敬意のある方法であり生き方です。より明確に、より一貫性をもって、より心を込めて生きる方法です。私たちは何を残すかを選択することによって、この世界にどう生きたいかも選択するのです。必要なものをよりよく収容するためにスペースを作ります。つまり、スウェーデン式の死後整理は、あなたができる最も楽しく解放的なことの一つです。なぜなら、自分自身、自分の価値観、本当に大切なものと再びつながることだからです。そして、息づく家、より軽い精神、ただ耐え忍ぶのではなく、注意深く選んだ思い出を手に入れる再出発です。
関連するビデオ: スウェーデン式の最期を迎える準備 (unbranded - Lifestyle)
2000年代にスウェーデンに行った時、高齢者は延命されないで穏やかに亡くなっていることを知り、心底驚きました。その当時の日本では、延命は当たり前で、穏やかに最期を迎えている人はいなかったからです。
しかし、この20年で日本もスウェーデンのように、介護施設で延命などせずに、安らかに看取られる高齢者が増えてきました。その数は12%とまだ少ないですが、20年前は極めてまれだったことを思うと、隔世の感があります。延命処置を理解し、そこまで望まない人が増え、訪問診療医が自宅や介護施設で、延命せずに看取ってくれるようになったと思います。
亡くなる4か月前から食欲がなくなり、食べる量が減りました。被介護者の息子さんに人工栄養(点滴、鼻腔や胃ろうからの経管栄養)を望むかどうかを聞いたところ、「自分はいつまでも生きていてほしいけれど、母は延命されることを望まないです」と言いました。そのため、食べるだけ飲めるだけとしました。
亡くなる1か月前から食事は数口になり、2週間前には少量のお茶だけになりました。4日前には「食事はいりません、温かいお茶が飲みたいです」と言い、2日前は「ごめんね、お茶はほしくないのよ」とお茶も飲まなくなりました。
前日は「ありがとう。そばにいる? いてくださいね」と言い、当日は家族がまもなく来ることを伝えると、うっすら目を開けて「あ〜、そうかい」と言い、8時間後に眠るように亡くなりました。
食べるだけ、飲めるだけの自然な死では、別れを言える人がいますが、一方、延命されている期間が長いと、昏睡状態になります。90代のあるアルツハイマー病の女性は、お嫁さんに初めて「ありがとう。世話になった」と言って亡くなりました。
人は全く飲食をしなくなると、2週間以内に亡くなります。そのため、極端にやせることもなく、自然な姿で亡くなります。看護師はご遺体が美しいと言います。余計な点滴や経管栄養をしないので肺炎などを起こさず、熱も出ず、痰も出ません。
眠るように亡くなった姿を見ると、これが本来の死の姿であることに気づきます。「おなかがすいたり、のどが渇いたりして、苦しまないだろうか」と心配する家族がいます。しかし、亡くなる人には栄養も水分も必要ないので、おなかもすかず、のども渇かないのです。
ある看護師は「今まで、通常の量の点滴をして亡くなった患者さんは、皆苦しそうだったけれど、食べるだけ飲めるだけで点滴を行わない患者さんは、どの人も死に向かって穏やかになっていった。こんなに穏やかな死は点滴患者さんには見たことがない」と驚いていました。 また、別の看護師も「私は若いころ、病院という所は何か治療をしなければいけない所だと思っていた。だから何もしない患者がいると、どうして退院しないのだろうと納得がいかなかった。しかし今は、治療をしないで穏やかに看取ってあげるのも私たちの仕事だと思えるようになった」と言いました。
終末期の患者にとり、脱水や低栄養はむしろ良いことです。なぜかというと、脱水や低栄養になると、脳内麻薬であるβエンドルフィンや血中のケトン体が増加します。血中のケトン体は、栄養源として自分自身の脂肪が使われることで増加します。そのため意識が朦朧として気分が良くなるのです。終末期に点滴や経管栄養を行うと、このような恩恵が受けられません。枯れるように死んでいけば、楽になるように私たちはつくられていたのです。
では終末期に、血圧測定、心電図モニター装着、血液検査などは一切行いません。それらの情報があっても、治療するわけではなく、患者さんは測定のために苦痛を感じるだけだからです。日本では当たり前のことが行われず、初めは不安でした。しかし緩和ケアでは、数値や心電図の波形からではなく、本人の様子を見て状態を知り、必要なケアを行うことを学びました。
死期が近くなると、日中も眠ることが多くなります。痛みが出なければ、背もたれを倒せるゆったりとした車いすに座ってもらい、快適に過ごせるように工夫します。食事や水分が取れなくなっても、胃ろうを造ることや、点滴をすることはありません。体の働きが止まっていく段階では、水分を投与しても体はそれを活用できないからです。食事は、本人が食べたいもの、飲みたいものを望む分だけ介助します。無理強いしません。
終末期の食事の目的は、栄養を取ることではなく、味を楽しむことだからです。甘いものが好きな人には、アイスクリームやチョコレートを口にいれます。飲み込みが悪い人には、好きな飲み物をスポンジに浸して舌の上に載せます。食べる雰囲気も大切です。夏はさわやかな空気を感じられる窓辺や庭、12月はクリスマスの音楽が聞こえる部屋など、本人の好む場所を用意します。
家族を支えることも、大事なケアの一つです。私がスウェーデンらしいと思ったのは、スタッフがコーヒーとクッキーを持って家族の所へ行き、座ってゆっくりと話をしていたことです。お茶を飲みながら話を聞くことで、家族が何を求めているのかを知り、より良い関係が作れます。本人の人生について語ることができた家族の多くは、亡くなった1か月後の遺族ケアで、「悲しみだけではない、意味のある時間を送れた」と言います。
緩和ケアだけで最期の時を待つことは、本人と家族にとり、簡単なことではありません。しかし、スウェーデンの介護施設や病院では、職員皆が、本人中心の緩和ケアが良いと考えています。そのため、本人も家族も納得して満足して、最期の時が迎えられます。
出典 YOMI Dr
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