僕にとってのそれは、「抑制の効いた生き方をする」ということだ。
居心地のいい、しっくりくる湯加減を探したら、僕の場合はそれだった。
そして、一番手ではなく、「最高の二番手」を目指すこと。
たしかに、トップを目指す人がひたすら上へ上り詰めて行くときの快感には、特別な魅力があるだろう。
でもそこには、後続の人から追われるつらさもセットになっている。
逆に一位に固執しなければ、戦うべき相手は他人ではなく、自分自身になる。
そうすれば、下を見る余裕も、上を目指す探究心も併せ持ちながら、自分のペースでその場所ならではの味わいをじっくりと堪能することができる。また、二番でもいいのだと思えれば、ガツガツとした焦燥感から解放されて、結果を残したライバルを心から認め、身構えることなく彼らと共存できるという楽しみもある。
さらに、自分はまだまだ通過点にいるのだという認識が原動力となり、努力し続けることもできるし、自分はいつまでも現役だと体感することもできる。これこそが、成長し続けるコツだ。まだまだ一番手ではないという気持ちが可能性を広げ、人としての成長や深化をもたらすエネルギーを生み出し続けるのだ。
模索し続ける人生は幸せである。
他人と競って一位を目指し続けるより、二番手でいいと思えれば、何より、その奥ゆかしさが粋で素敵じゃないか。
抑制の効いた生き方、それがきっと僕のキャラクターなのだ。
いい悪いではなく、それが自分に合っているリズムなのだと思う。
それは、ある意味、父の生き方にも通じる、東京スタイルの芸風なのかもしれない。
芸能の仕事では、結局、どんな生き方をよしとするのかが、演技や話術に如実に表れる。
しかし、きっとそれは芸能界だけじゃなく、どんな業界にも当てはまることなのだ。
目指すものが顔つきに表れる。
誰もがトップランナーである必要はない。
真摯に成長したいという一生懸命さがあれば、「最高の二番手」を目指す生き方も悪くない。
堺正章『最高の二番手』飛鳥新社
『中国に「三宝」の教えというものがある。
一つは、いつくしみ、慈だと。
一つは、倹、つまり、自分の私心をなくすこと。
三つ目がね、人を前に出すことだという。
これがね、三つの宝の一番、素晴らしい宝だそうです。
自分が前に出ようとしない、人を前に出すこと。
魅力的な人は、我を出すのではなく、「人を立てる」ことが出来る人。
執着やこだわりがなく、我を捨てることができる人だ。
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