因みに大相撲は年6回、各15日間開催されます。
今場所も外国生まれ力士の活躍が目立ち、優勝はかの朝青竜の甥でもあるモンゴル出身のHOSHURYU(豊昇龍),準優勝者はカザフスタン出身のKINPOUZAN(金峰山)と 日本人のOUHO(王鵬)の2名でした。王鵬の祖父は横綱・大鵬(ウクライナ出身)でした。
因みに幕内力士は42人で闘います。 そして、それに控える十両部門で26人の力士で争われました。優勝者はウクライナ出身のSHISHI(獅司)、準優勝者もウクライナ出身のAONISHIKI (安青錦)でした。
「巨人、大鵬、卵焼き」という、昭和の時代の流行り言葉があった。大鵬とは第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した昭和の大横綱。女性ファンが多く、人気者であったことから当時に幸喜とっ命名される男児が多かった、その一人が三谷幸喜である。
本名は納谷 幸喜、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男。母親は日本人の納谷キヨ。1982年(昭和57年)、人格者として知られていた大鵬は、「世界人道者賞」を受賞した[26]。この賞は日本では余り知られていないが、ローマ法王などが受賞した世界的に重要な賞である。位階は正四位。国民栄誉賞。相撲界で唯一の文化功労者。
誕生から入門
1940年(昭和15年)、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した、所謂白系ロシア人であった。なお、南樺太は日本領であったため、大鵬は外国出身横綱にならない。
太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船。その後、留萌沖でソ連潜水艦L-12の魚雷攻撃を受けて船は沈没、が、大鵬親子は下船したため辛くも難を逃れた(三船殉難事件)。
北海道では母子家庭のため大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓した。貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。再婚相手とは大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻った。中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ中卒「金の卵」として北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしたが、1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門した。
入門時に母親から反対されたが、親子で相撲部屋を見学した時に叔父が母親を説得した。後年、巡業で振る舞われたちゃんこに感銘を受けていたことも入門の動機として明らかになっている。
北海道出身のためかスズランの花が好きであり、自身の元に贈られてきたスズランの花は、花の寿命が来るまで可愛がった[1][2]。また、自身の化粧回しにもスズランの花がデザインされていた。
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