スヴェトラーナ・アリルーイェヴァ(ロシア語: Светла́на Ио́сифовна Аллилу́ева, 1926年2月28日 - 2011年11月22日)は、ソ連の政治家・ヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)の娘として生まれ、1953年に父・スターリンが死んだのち、1957年、スヴェトラーナは、苗字を母親の姓である「アリルーイェヴァ」に改名した。ソ連時代に生まれた子供が二人いたが、共ども改名したのだという。
スターリンは複数回の結婚をし、多数の愛人を作ったとされるが、スヴェトラーナも生涯で4度の結婚をした。
スヴェトラーナは、1942年に雑誌記事を読んで、10年に亘って自分に嘘の情報を教えてきた父・スターリンとの関係が大きく変わり、死ぬまで父と距離を置くようになった。その記事で、6歳だった時に亡くなった母親の死因が病死ではなかったと知ったからだった。その時、付き合った
初恋相手がユダヤ人の映画プロデューサーであったが、スターリンは猛烈に反対し、北極圏に近いボルクタへ10年間の追放、その翌年に、モスクワ大学の学生だったグリゴリー・モロゾフさんと17歳で結婚、スターリンは渋々これを認めた。45年に息子を授かったが、47年に離婚した。49年に2度目の結婚をし、50年に娘を生んだが、この結婚もまもなくを迎えた。
スターリンが53年に死亡した後、その10年後、入院した病院で、共産党員のインド人と会い、後に3度目の結婚をした。公式には認められなかったが、重篤な病気を患っていた男性はかなり年上であり、66年に死去。その遺灰をガンジス川に流すため子どもを置いて、インド滞在
のインド訪問が認められた。8カ月滞在した1967年3月、スヴェトラーナは米国に亡命(当時41歳)した。彼女は自叙伝を携えアメリカ大使館に駆け込んだのだ。
アメリカで暮らし始めた彼女は、『Twenty Letters to a Friend』(『友に宛てた20通の手紙』、1967年)、『Only One Year』(『一年だけ』、1969年)、『The Faraway Music』(『遥かなる音楽』、1984年)を出版した。米建築家と知り合い結婚、姓名を変え、一女をもうけるが離婚。1982年にアメリカを離れ、イングランドに移住。その後、1984年にソ連に戻るも、残してきた長男、長女には受け入れられず、その2年後、1986年4月に再びアメリカに移り住んだ。1990年代にはイングランドに移住し、数年を過ごしたのち、再びアメリカに戻った。
自由を求めて米国へ亡命したものの、米国での女性たちの地位は想像と違って、ソ連の女性のように仕事をして自立できているなどはなく、多くが主婦としての立場で社会的評価は低くい現実を知り幻滅を感じるようになる。ソビエトに戻る、そうかと思うと再渡米、時計の振り子のように定まることがなく転々とする後半生を送ったということだ。
2011年11月22日、米ウィスコンシン州リッチランド郡のケアハウスで、結腸がんで85歳で亡くなった。
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