日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない。
反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない。」 と言っている。
そして、「太陽族」を世に出した石原慎太郎『自分の頭で考えよ』(プレジデント社)で、「若い頃私たちはよく、健康な肉体にこそ健全な精神が宿るといわれたものです。それは真理だと思う。そして、健全な精神とは何もそれほど高尚なものでありはしない。
要するに気力の問題なのです。
だから、それが真理であるが故にもその逆説もあり得るのです。
つまり、ある年齢にまでなると今までとは逆に、健全な精神が老いていく肉体を守ってくれるのだ。
これは人生の充実のためにもきわめて都合のいい、有り難い原理だと思う。
なぜならその原理に沿う限り、人間は老いてもすぐに哀弱することなしにすむのからだ。
端的にいって、気力の溢れた人はその年に関わらずいかにも気力に満ちた人間なのがわかる。
逆に年齢に関わらずいかにも年寄り年寄りしている人は話してみると気力を失った人間でしかない。
そして、その気力を育み培うために健康な肉体が必要というのが人間にとっての公理に他ならない。
そこにこそ、若い頃から肉体を鍛えることに腐心してきた人生的な意味が初めてあるということです。」と言っている。
気力とは、負け続けようが、やられっぱなしになろうが、どんなに否定され、何度も倒れようと、最後に、「負けるもんか」と起き上がる。
そして、上手くいかないかもしれないなどと先回りせず、やってみなければわからない、と前に向かってすすむ「気力」を奮い立たせることが出来る、健全なる精神とは「気力」ということだ。
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