今のその人を見ていれば、その人の過去の集積がわかります。過去数十年、不機嫌を投げかけてきた人は、その集積として今の不機嫌に囲まれているのです。過去、どのような生き方を続けてきたのかが読み取れるというわけです。同じように、未来を考えてみます。今、その人が周りの人に笑顔をたくさん投げかけている、約束を守り、正直に生き、年齢や性別に関係なく公平平等、すべての人にやさしく、すべての人に対して思いやりを持って接しているとします。その人がそういう生き方を今のままずっと続けていたならば、5年先、10年先にこの人がどのような生き方をしているかが想像できます。
しかし、戦争という自ら起した争いではないのに、徴兵という制度によって男たちは戦場に駆り出されていき、恋人や妻子、未来の花嫁たちは未来をその時の為政者によって、人生、命の行方さえも変えられてしまった、あるいは現在もそういう状況が現在も起きています。
そのように生きている人は、そのような状況に他者によって投げ込まれた人々も、必ず不機嫌な状況に囲まれているのです。それが過去の集積として、その人の戦後が続くのです。しかし、戦時下の為政者はそうした、身心に受けた消し難い心の傷について知らぬ顔をするものです。ゆえに、まいた種がその後の人々の日々、続く未来に影響を長く与え続けて行くことをどの国においても、頭に留めて国の未来の幸せを考え、担っていかなくてはいけないのです。
参照『幸も不幸もないんですよ』知的生き方文庫
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