https://www.nicovideo.jp/watch/sm29728725
2014年6月、第2次大戦の70周年記念式典がフランスで行われた。その際に原爆投下の記録映像を見た各国首脳は拍手での反応であった。
Yes We Can! のキャンペーンも功を奏し、大統領に就任したオバマは、さしたる平和活動を起こさぬうちにノーベル平和賞を受賞してしまったのだが、その後の式典のオバマの真意は、ガムを噛みながら原爆投下の映像を見ているのは軽薄な感じだ。もっとも、多くの元首たちが、その会場で原爆投下の映像に拍手をしているのだから、唯一の被爆国への認識はまだまだ、浅いということだろう。その中で、プーチンは原爆投下の瞬間の映像に十字をきるしぐさで頭を垂れているのは、オバマと好対照だ。
2016年、オバマは広島で演説した。そうした一連のオバマの言動に苛立ちをみせていたのが、プーチンだった。特に、米国が主導する欧州でのミサイル防衛(MD)計画だ。米国は、米ソが1972年に締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に脱退し、「国際的な安全保障の基盤を弱体化させた」(大統領)。さらに、今年5月にはMD計画の一環としてついに、ルーマニア南部で地上配備型の迎撃ミサイル発射基地の運用を始めた。ポーランドでも同様の発射基地の建設を進めており、ロシア大統領として「ロシアの核戦力を脅かす」とかみついたのだ。
米国がABM制限条約からの脱退を通告したのは、ブッシュ前政権下の2001年末のことだ。その翌年に失効した同条約まで改めて持ち出して米国を批判したのは、MD計画がいよいよ、ロシアの安全保障を揺るがす現実の脅威となったという危機感からだろう。
ロシアもこの間、手をこまぬいていたわけではない。欧州のMD計画は「イラン対策」という米側の説明を受け、ロシアも構想の代案を提案したことなどもあった。ところが、米国はロシアの提案を受け入れなかった。これが「我々の話を誰も聞こうとしない」と憤るプーチン発言の背景だ。
「(米国は)イランの核計画の脅威に備えると言ってきたが、その計画は今、どこにあるのか。イランの核合意を主導したのはまさに米国ではないか」とプーチン大統領。MDをめぐるロシアの対米不信は募る一方だ。
もちろん、オバマ大統領の唱える「核なき世界」と、欧州のMD計画は直接には関係しない。だが、米ロは2010年に調印し、翌年に発効した新戦略兵器削減条約(新START)以降、核軍縮で全く歩み寄れていない。その最大の要因がまさに、MDをめぐる対立だ。ロシアはこの計画が「自国の核抑止力を無力化する」と反発し、米国との新たな核軍縮交渉に応じていないのだ。
その意味で偶然とはいえ、オバマ大統領の「広島演説」の当日にぶち上げたプーチン大統領の対米批判は、「核なき世界」への痛烈な皮肉だったともいえる。
参照 2016/6/10 日経ビジネス
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/040400028/060800007/ 2009年4月、オバマが大統領であった時、プラハで表明した核廃絶に向けた国際協調外交推進の理念、そして6月にカイロで行ったイスラム世界に対する融和と対話の呼び掛けなどのスピーチを行った事で、その年のノーベル平和賞の受賞となった。
実は、ノルウェー・ノーベル賞委員会が発表した授与理由とオバマ大統領の受諾声明の間には、小さいが微妙なズレがある。同委員会が2009年10月9日にオスロで発表した声明はオバマ大統領の受賞理由について、国連などを中心にした多国間外交の推進や、核廃絶へのビジョンが軍縮・軍備管理推進の力強い刺激剤となっていることや、気候変動及び民主主義・人権問題へのイニシアチブなどを挙げている。
表面からは見えないが、米国の2000年代に進んだ安全保障戦は変化したのだ。高性能通常弾頭使用のグローバル化と核不拡散の推進という、冷徹且つ現実的な米国の安全保障戦略の基礎がある。ノーベル賞委員会が賞賛する核廃絶に向けての国際協調外交ではなく、オバマ大統領は核兵器が危険な国家へ拡散してしまうことを防ぐことが第一義とした上で、核兵器配備の縮小を進めていこうと呼び掛けているのだ。
もっとも、9日朝にホワイトハウスが急遽発表したオバマ大統領の声明も、気候変動やイスラエル・パレスチナ和平への取り組みに関してはノーベル賞委員会の考え方と歩調が合うが、核についてはそうではない。核兵器がさらに他の国々へ拡散するのを許すことはできない、だから核兵器なき世界を追求するための具体的ステップを開始しよう、ただし核兵器の廃絶など自分が生きているうちには実現不可能かもしれないが皆で頑張ろう・・・。というロジックで続いていく。
2024年08月14日
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