ハワイに来るアジアの若者の大半は1941年の真珠湾攻撃を知らないだろうし、さらに前の18世紀末、ハワイに独立王国があったなど知る由もないに違いない。
18世紀末建国したハワイ王国は西洋諸国からの干渉に悩まされていた。1881年、世界巡行中のカラカウア国王の訪日は、明治天皇の国外からmの来賓第一号だった。その際に、国王はカイウラニ王女と山階宮定麿王(後の東伏見宮依仁親王)の縁組や日本・ハワイの連邦樹立などの大胆な提案を行う。しかし、日本が米国からの反発を恐れたため、国王の合邦提案は幻に終わった。
1893年、ハワイ王国在住の米国人を中心とする集団がクーデターが起きた。海兵隊員も投入され王国は崩壊、翌年にはハワイ共和国が成立する。だが、反乱集団の最終目的は米国によるハワイ併合であり、多くの流血事件を経て、98年、ついに米国はハワイを併合する。
「ハワイ主権運動」は先住民の主権と自治を尊重し、ハワイ王国の米国への主権移譲は違法だとも主張するが、米国の名誉のために言えば、米連邦議会は1993年、ハワイ王国の崩壊には「米国の工作員と市民の能動的関与」があり、ハワイ先住民は「自らの主権を直接放棄していない」ことを確認する共同決議を採択している。ハワイ先住民問題はアメリカ先住民(インディアン)問題と同様、未解決の機微な問題なのだ。
当地の州議会は現在、州知事に対し、ハワイ先住民、ハワイ州、アメリカ合衆国の和解を審議する委員会の設置を求める決議案を審議中だ明治26年(1893年)、ハワイ王国のリリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃する動きをみせると、これに強く反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立した。
この時、日本は邦人保護を理由に東郷率いる巡洋艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した[9]。女王を支持するハワイ先住民らは涙を流して歓喜したといわれる。また、ハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であった。しかしアメリカによるハワイ併合は明治31年(1898年)に実現される。
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