科学の未発達な平安時代では、陰陽師は星の動きを見る天文博士でもありました。
母は絶世の美女で信太姫と名乗っていた。晴明を産んでからは葛葉の葉と名乗ったが、晴明が三歳のときに一首の和歌を残して去っている。葛葉が去った時期に吉備真備(の弟子か霊か)が筑波山麓に来た。吉備は晴明と出会い陰陽に関する大切な書を渡し、晴明は鹿島神社や日光山などを参拝して書の研究を進めていき、ついには日本一の学者と認められるほどになった。やがて京都に渡り、さらに活躍の幅を広げていった。その後、晴明の「お告げ」として、国家の運命を占い、政治や行事の決定に欠かせない存在となりました。
猫島村には葛葉稲荷があるので、関係があると思われる。
晴明の母親となる樟葉は三年間を滞在すると、この地で安倍(阿部)仲麻呂の子孫と出逢い、やがて童子(晴明)が生まれた。ある日、次の歌を残してこの地を去った。
恋しくば 尋ねきて見よ 和泉なる
信太の森の うらみ 葛くずの葉
そこで、筑西市で大々的に取り上げている。
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もっとも、映画『陰陽師』、TVなどで取り上げられて、摂津国阿部野や、奈良に生まれたという話があることも既知のことだ。
「安倍晴明神社」(大阪)の案内板によると、安倍晴明は古代豪族・阿部氏の出で、父安倍保名が和泉の「信太森稲荷神社」に参詣の折り、助けた白狐(葛の葉姫)と結ばれて、阿倍野で生誕されたという「葛の葉子別れ伝説」が伝わっています。
昔の明野町(現茨城県筑西市)のあたりは湿地帯で雨が降ると近くの観音川が増水して水田が水浸しでした。それに心を痛めた晴明は、地形を利用して石橋をかけ、橋は川の水をしっかりと防いだので、災害から救われた村人は晴明にとても感謝した。橋は残っていないが、その伝説にちなんでつくられた晴明橋公園に、先の歌を刻んだ歌碑、5台ほど駐車可能な駐車場がある。土地の大切な伝説なので知らしめ忘れないでいたいとの考えでいた。合併前マスコットキャラクター「晴明くん」だったが、合併後は全国から募集して「ちっくん」がきまり、商標登録番号第5554214号. 商標登録番号第5554213号になった。
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参照HP https://serai.jp/hobby/1163780/2
https://japanmystery.com/ibaraki/seimeibasi.html
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