介護福祉以外でも高齢者向けの社会的サービスはたくさんありますが、その中でも興味深いのが「シニア住宅」。これは、55歳以上の希望者しか入居することのできない住宅です。介護住宅ではなく一般の住宅なので、個人の空間はしっかり維持できます。それに加え、周りには価値観や趣味、話の合う人々が集まるのです。こうした場所では、音楽会や食事会、スポーツ大会などの様々なイベントが頻繁に行われ、住人同士の交流が深められます。定年退職後に社会との関わりが薄くなる高齢者にとって、こうした住宅は意義のあるものですし、「孤独死」のリスクも防ぎやすくなります。地域や近所との繋がりを強めるこのアイディアは、核家族化が進んでいるスウェーデンに特有のものではないでしょうか。
福祉には「これが一番である」と断定できる制度がないように、スウェーデンにも議論すべき点・改善すべき点はまだまだあります。今までは、高齢者介護の実態が不透明で徹底した討議がされてこなかったようにも思われますが、最近は、高齢化社会の問題を取り上げるメディアの頻度も増え、社会の関心が高まっているのがよく分かります。
スウェーデンの冬は長く、暗い時間も長いので人々は屋内で過ごす時間がおおく、少しでも居心地のよい環境を大事にして、ある統計では自宅の環境を整えるための費用が収入の30%近くにおよび、食費よりも高い値になっています。家の外にでることが簡単でない高齢者にとっては、室内の環境はより大切になってきます。これまで家族や自分の大切にしたものが詰まった場所が家であり、自宅がくつろぐ場所だといいます。
認知症を患い自宅に住むことが困難になり、高齢者住宅に移ることになったときには、適応力が低下している認知症の方は、新しい環境に適応することがとても難しいのです。とくにその高齢者の暮らす環境には配慮しなくてはなりません。
スウェーデンの高齢者は、子供などの親族と暮らすことをしない。これは「自立した強い個人」が尊ばれる伝統に根差したもので、夫婦二人か、一人暮らしの世帯がほとんどで、子供と暮らしている人は全体の4%に過ぎない(日本は44%)。
高齢者に限らず、若者も義務教育を終えた16歳から親の家を出て一人暮らしを始めるのが普通だ。だからといって家族関係が希薄というわけではなく、近くに住んで頻繁に交流する家族は多い。
「日本の場合だと介護施設に入っても、病状が悪化すれば病院に搬送され、本人の意思にかかわらず治療と延命措置が施されます。施設と病院を行ったり来たりして最終的に病院で亡くなるケースがほとんどです。自宅で逝きたいと思っても、延命なしで看取ってくれる医師が少ない。
一方、スウェーデンではたとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。過剰な医療は施さず、住み慣れた家や施設で息を引き取るのが一番だというコンセンサスがあるのです」
介護する側もされる側も、寝たきりにならないように努力をする。それでもそのような状態に陥ってしまえば、それは死が近づいたサインだということで潔くあきらめる。それがスウェーデン流の死の迎え方なのだ。
このような介護体制を根底から支えているのは、充実した介護福祉の人材である。介護士は独居老人の家を頻繁に回り、短い場合は15分くらいの滞在時間でトイレを掃除し、ベッドメイクを済ませ、高齢者と会話をして帰るというようなことをくり返す。
もし、認知症の人が一人で散歩に出たいと望んだ場合、その人の思いを尊重して、GPSつけてもらい散歩に出られるようにすることもあります。もちろん転倒や交通事故に遭うリスクはあるのですが自己決定を優先させるのがこの国の倫理感です。
スタッフが付き添って散歩をすることが一般的ですが、ひとりで散歩に行くことに強い思いも持っている高齢者の場合は、必ず高齢者の家族とよく話し合って、個人の意思の尊重を大事にすることの共通認識を家族と確認しておきます。
認知症は、自分の思いを伝えるのが病気の進行と共に難しくなります。しかし、できるだけその人の思いやライフスタイルを知り、その人らしさというのはどんなものなのかを考えるとは、認知症の人のケアに関わる者にとって大事です。自己表現ができない、コミュニケーションが取れないからといって、その人の生き方は奪われるものではありません。(Edberg, 2011) スウェーデンでは最期まで「その人らしく生きる」ということを支えるのがケアを行う者の役割です。
日本では介護というと、どうしても医療からの発想になりがちで、手助けよりも治療という対処に傾きやすい。
「日本の場合は病院経営をする医師などが主導権を持っているケースが多く、すぐ投薬・治療という方向になる。
しかし、スウェーデンの場合は介護士たちが大きな権限を与えられていて、認知症の場合には薬を使うよりも、本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されています。
調査した3万人ほどの自治体では2300人の職員がおり、そのうち400人が介護福祉士でした。介護は重要な雇用創出の機会にもなっているのです」
日本では介護士というと薄給なわりにきつい仕事というイメージだが、スウェーデンでは安定した公務員で、経済的に困窮するようなこともない。
スウェーデンでは認知症の人のうち約半数が独居しているという。しかしそれで大きな問題が起きたこともない。
日本では'07年に認知症患者が徘徊して起こした鉄道事故で、監督責任を問われた遺族が鉄道会社から損害賠償を求められるという裁判があったが、このようなケースはスウェーデンでは考えられない。
「この国では、介護の負担はすべて国や自治体がします。『国は一つの大きな家族である』という発想が定着していて、家族が介護のために経済的負担を強いられるということもありません。
また、施設を訪れた家族が、食事や入浴の手伝いをすることもまずありません。家族は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえばそれでいいのです」(前出のヨハンソンさん)
老後破産や孤独死、老老介護による共倒れなどが起きている日本と比べると、自立することへの考え方の差も見られる。
参照HP https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1878?page=3
https://note.com/silviassk/n/n5e7ee6d49664
https://note.com/silviassk/n/n57aab496c7a1スウェーデンの政治の面白い点は、ランスティングやコミューンの議会の議員の大部分が、政治家とは別に本業を持つ兼業議員であるという点だ。
「彼らは議員職を通じて、歳費をもらっているわけではなく、会議に出席した時間に応じて時間給をもらっています。本職は会社員、医師、看護師、大学教員、農家だったり様々で、いわばパートタイムの政治家たちなのです。議会は月に一度、議員たちが本業の仕事を終えた17時頃から開かれます」(湯元氏)
徹底した合理性を求めるスウェーデン人の国民性は、墓の形態にも表れている。
以前は、スウェーデンでも日本と同様、個人の墓が一般的だった。しかし、最近急速に増えてきているのが、ミンネスルンドと呼ばれる匿名の共同墓地だ。スウェーデン人の死生観に詳しい中京大学の大岡頼光准教授は語る。
「ストックホルムの郊外には『森の墓地』という世界遺産にもなっている最大の共同墓地があります。
遺骨は完全に灰になるまで焼かれ、墓の管理人が林に撒きます。匿名性が重視されるので、どこに灰が撒かれたかわからないように、家族は散骨に立ち会うことはできません。
先祖を崇拝する日本の価値観とはことなり、死んだらそれで終わりという価値観が根底にあるのでしょう。気を付けてみると、骨の破片が林に転がっていることもあります」
充実した信頼できる福祉制度のもと、安心して人生を送り、死んだら森に還る−−北欧の楽園には、日本人が学ぶべき幸せのヒントが無数に転がっている。
「週刊現代」2015年9月26日・10月6日合併号より
https://gendai.media/articles/-/45514?page=3
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