「縄文時代前期(約6,000年前)頃は地球の気候が最も暖かかった時期で、現在より平均で約2度ほど高い気温でした。
そのため、南極や氷河期に形成されていた氷河が溶け出して、海面の高さも現在よりも4〜6mほど高くなっていました。」(横浜市歴史学物館)のことです。海が内陸部に進んできたので「縄文海進」、その逆の海退が起きていた。
1590年に江戸に入った徳川家康は「利根川東遷」を命じ、は1594年に始められ、完成は60年後!の1654年とのことです。今、地図を見てみても、千葉県は辛うじて本州とつながっているのが野田市付近であり、よくよくみると川に囲まれて水辺がひろがり、東京都とはほぼ分離したことがわかります。それをブラタモリ、林先生の番組がカメラを持ち込んで検証していたという訳です。
東遷が完成後、利根川は渡良瀬川、鬼怒川などの水を集めて銚子で太平洋に注ぐようになったため、江戸が浸水することは少なくなり、関東平野全体としても水田が拓かれ穀倉地帯として発展していきました。
徳川家康が、江戸のまちづくりを進めるにあたり、利水と治水のために、東京湾(江戸湾)に流れ込んでいた利根川を太平洋に流すという大工事を進めた、カエサルのローマのような水利事業を行われ、その一環に手賀沼の治水にも艱難辛苦、努力していたという事です。
2024年05月15日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック