2022年7月、岸本聡子さんが187票差で競り勝って杉並区長に就任しました。その12年前に明石市長に初当選したときの泉房穂氏はもっと僅差。わずか69票差でした。人口30万の明石市で有権者の0・03%程度の誤差の範囲。統一地方選挙で一騎打ちだったんですけど、最初の開票結果は75票差で泉の勝利でも、相手陣営から文句が出て、数え直すことになり、6票が無効と判定されて、69票差に。
4月23日に投開票された統一地方選。兵庫県明石市では自民党は立憲民主に圧勝したと吹聴するが、明石市では泉氏が立ち上げた地域政党「明石市民の会」に完全に敗北した。その後、明石市は泉房穂氏が3期12年にわたって市長を務めてきた。全国に先駆けて「異次元の子ども施策」を実行し、市の出生数のみならず人口、税収も飛躍的に伸ばして「明石モデル」と称賛された。下記は、泉氏へのインタビューです。
市民のために頑張ると言ってる人と、一部の人のために頑張ると言ってる人。普通に街の人に聞いたら、自分たちのために頑張るほうを応援する人が多いに決まっている。だけど、新聞やテレビが、もう勝敗は確定しているかのような報道をするから、みんなが諦める。だから、その思い込みにもとづいた結果が出てしまう。それで「あーあ、やっぱり」となるんだけど、その根本にあるのは単なる思い込みだし、勘違いなんです。
私の場合は、「勝てる」と確信していたけれど、途中から先方も巻き返しを図り、票を固められていって追い上げられた。みんながみんな投票に行くわけではないですからね。市民全員が強制的に投票させられるような制度だったら、間違いなく私が勝てるんですけど、結局、お付き合いがあったり、誰かに頼まれてる人のほうが一生懸命投票に行くから。
当時のまちの空気感は70対30くらいで私が優勢でしたが、私たちの側で投票に行くのは4割ほど、一方相手方は9割近くが行かされる状況になりました。支持層×投票予測を比べると28対27、僅差が見込まれていたんです。それで最後には69票差まで追いつかれて、ギリギリのところで勝った、というのが実際のところです。
なんと、ひっくり返したのではなく、逆に最後に追いつかれたと、泉氏は感じていた。当時の投票率は、5割くらいです(47・64%)。選挙をするたびに不思議に感じるのですが、「自民党や与党が固まったら決まり」とか、それ単なる思い込みですよ。そんなことで決まるわけない。でも、対抗馬の候補者も「公明党の票がほしい」とか考えだす。投票率5割だと、普通の候補者がまともに戦ったらやはり厳しい。
いっぽうで、有権者である市民になかなか声が届かないという現実もある。だから、そういう候補者は、大きな組織に太刀打ちできずに負けてしまうことが多い。
最初の選挙で、圧倒的マジョリティである庶民・市民に声を届けるのに、「市民vs.オール与党(古い政治)」というわかりやすい構図になったことが大きかった。私のキャッチコピーは、「私たちの代表を市長に」とか「明石市民推薦」とか、「市民とともにある」という部分を押し出しました。選挙演説でも、「皆さん」とは言わず「私たち」と言います。私がここにいて、市民が向こうにいるわけではありませんからね。私も市民の中にいるわけですから、選挙の時だって「私たちの戦い」になるし、「私たちで頑張って明石市を変えよう」となるわけです。「皆さん」なんていない。
むしろ、既得権益の方々が向こう側にいる「彼ら」ということになります。当時喋ってたことは、か、「私たちの社会を諦めてはいけない」とか、「私たちの明石を私たちの手に取り戻そう」、「これから子どもの時代が来る。子どもに優しいまちにすれば経済が回って高齢者にも還元される」とか。言ってることは今と全く同じです。
あの2011年4月の明石市長選には、前任者が出馬しないことになり、兵庫県知事の知事室長だった県民局長が自民党・民主党・公明党に担がれ、兵庫県知事が中心になって彼を支援した。彼は、明石市内で有名な明石高校の卒業生で同窓会が応援していたし、大学も地元の関大(関西大学)。まあ、全てが揃っていて盤石の状態だと思われていた。でも、「市民の応援だけを味方につけて市長になる」と決めていた私には、むしろ好都合だった。全政党、業界団体も全て、対立候補の応援に回ったので、私からしたら「これ以上、闘う舞台が整った選挙もないな」と、その状況が固まりきってから出馬を表明しました。自分としては願ってもないチャンスだと思っていたのですが、当時の記者クラブの記者たちは驚きを通り越して呆れてました。他に候補者が出てくる気配すらなかった。そこに、誰からも担がれてない泉氏が突然登場、それは驚きますよ(笑)。
忘れもしませんが、2月26日に出馬表明の記者会見をした時、「泉さん、相手候補は盤石の支持基盤を持ってます。あなたに支持基盤はありますか?」と聞かれ、「市民です」と即答したら笑われました。「そんなんで勝てる見込みがあるんですか?」とまで言われた。「いや、勝てますよ。市民のほうが多いですから」って言ったんです。
明石市長を4月30日で退任する泉房穂氏の新刊『政治はケンカだ! 明石市長の12年』が発売前から大きな話題を呼んでいる。本書は退任翌日の5月1日発売。オビに「議会、政党、宗教団体、市役所職員、マスコミ…私が闘ってきた相手の正体をすべて明かそう」と書かれているだけに、「毒舌」市長の書に関心が集まっている。
泉 房穂(1963年〈昭和38年〉8月19日[1] - )は、兵庫県明石市出身、日本の政治家・弁護士・社会福祉士。兵庫県明石市長(3期)。元衆議院議員(1期)。元NHKディレクター、テレビ朝日社員。柔道3段。手話検定2級。東京大学教育学部卒業。
明石市長時代に、中学生までのこども医療費の無料化、犯罪被害者等支援条例、離婚後のこども養育支援、法テラス窓口を市役所内に全国で初めて設置したほか、特色ある施策を進めた。減少傾向にあった明石市人口が、2013年より増加に転じている。2015年3月全国で初めて「手話言語・障害者コミュニケーション条例」を制定。
「障害者に対する配慮を促進し誰もが安心して暮らせる共生のまちづくり条例」の制定、知的・精神障がい者など門戸を広げた市職員の採用試験を実施した、無戸籍者に対するサポート事業、第二子以降の保育料無料化、離婚後のこども養育支援(養育費や面会交流についての取り決め)などの施策を行った。
LGBTなど性的少数者のカップルを公的に認める「パートナーシップ制度」を、2020年度に導入する方針を明らかにした。
中学校給食を所得にかかわらず完全無償化。
性的少数者(LGBTなど)のカップルを婚姻相当とし、その子供との親子関係も自治体として認める「明石市パートナーシップ・ファミリーシップ制度」を導入。
遊泳者安全区域や危険行為への罰則を明記した「明石市水上オートバイ等の安全な利用の促進に関する条例」を施行。特に罰則は、罰金では不十分とし、市独自に懲役刑を新設。遊泳者安全区域への乗り入れ及び遊泳者安全区域での危険行為(遊泳者の近くで危険を生じさせるおそれのある速力での航行や急回転、ジグザグ航行など)を行った者に対して、6月以下の懲役または50万円以下の罰金を科すとしている。
「明石市旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」の施行。
コロナ禍の2021年8月、困窮する飲食店などを支えるため、全市民へのサポート利用券の配布を巡って、泉氏と議会が対立し、結果的に市長が持つ「専決処分」という権限を行使する形で事業を断行。これが「議会軽視」「独裁的」と批判されて、問責決議案に繋がっていった。そんな中、2022年10月8日、泉さんの母校である明石市立二見小学校で、創立150周年の記念式典に同席していた議員らに対して、「問責なんか出しやがって」「お前ら議員みんな(選挙で)落としてやる」と暴言を吐いたと。
一度目は、泉市長が人事権を握る完全なる部下、役所職員に対する発言ですから、あれはパワハラと言われても仕方ない。実は、あの騒ぎのすぐ後に司法修習生時代の同期である橋下徹くんから電話があって、一度目は、トップが部下に対して脅したわけだからどんな事情があろうがアウト。だけど今回の相手は議員だから、パワハラには当たらない、と。しかし、この期に辞職を決め、後任の市長候補を立て当選させている。
Wikipedia 参照
2023年05月01日
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