米ワシントンポストの電子版によると、世界には26か国の王室が存在するそう。選挙で王様を選ぶマレーシアとバチカン市国を含めると、28か国になるのだとも言われる。
英女王エリザベス2世は96歳までの 在位70年7カ月は歴代の英国君主で最長だった。一時期はタイのプミポン国王が在位70年を超え、21世紀に最長在位だったが、国王が2016年10月13日に罷去された。つまり、世界の君主在位の歴史からみると、ルイ14世(過去において1643年に即位72年110日在位)が最長だが、女性君主としての在位は最長であった。
エリザベス二世は42代目、第2次世界大戦後の英国史のほぼ全てを見守り、亡くなる直前まで精力的という特殊な存在だ。英国のみならず、カナダ、オーストラリアなど旧英連邦諸国一六カ国の元首であり、他の三七カ国の首長も務めた。英王室は、皇室よりも系統は複雑、現在のイギリスがイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合王国で、それ以前から分裂や統合を繰り返し何度も王朝が交代している。大英帝国の最盛期を築いたビクトリア女王と現エリザベス女王は息子に王位を継がせており、それゆえチャールズ3世は女系国王となる。
現チャールズ3世につながる王室は「ウインザー家」といい、ビクトリア女王の孫のジョージ5世から始まった。ビクトリア女王の夫のアルバートがドイツ人で、本来なら家名は彼の姓であるサクス・コバーグ・ゴータ家となるはずだった。当時の第1次世界大戦での反独感情に配慮して、ドイツ風の名前を変えたのだ。
ちなみにエリザベス女王の夫のフィリップ王配もビクトリア女王の縁戚であり、ギリシャ王室の王子で、デンマークやノルウェー王室の血を引く。ただし、実家の王家は、ギリシャ革命から一家離散となり、次男の王子も財産を持たないただの流民だった。女王の結婚相手としては歓迎されなかったが、女王の一目惚れから押しきった恋愛結婚である。
一方、日本の成り立ちは日本書紀では神武天皇が紀元前660年ごろに初代天皇に即位したとされる、神武天皇が実在したと仮定した場合、日本の天皇家は男系継承で126代、2600年以上も続いてきた計算になる。戦後はGHQの影響もあって、『古事記』や『日本書紀』まで遡るのを否定されるようになってはいるものの、それ以前は神代の世代への長きの歴史があるとされてきた。もちろん、その部分を入れなくても最古の家系図を示すのが日本の皇統とされる。
6世紀以降王朝が交代した記録がないので、現在の天皇家は少なくとも1500年も続く「世界最古の王室」とギネス認定がある。その中で女性天皇は過去、桓武天皇以前に6名(8代)存在し、江戸時代に2名存在したが、子には継承しない一代限りで、男系男子で皇統をつないできた。第1皇男子である今上天皇(昭仁)は、宮内庁のホームページによると第126代にあたる。
参照HP https://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/201906100000/
人類はその歴史において、どのような血統に属しているかなどの理由によってその人物の社会的権利が自動決定される「身分制度」を長く行ってきたことによる。そのため、一般にその最上位に当たる位階も王、皇帝、スルタンなどと違いがある。同一に比べるには無理があるが、現存する公的な権威・地位などの継承制度を承認されている国家は 世界には30近くあるといわれ、日本はそのなかで、一系譜で最長なのである。
例えば、大英帝国時代に女王だった、ヴィクトリア女王(1837年 - 1901年)は、ハノーヴァー家であったが、夫・アルバート が、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子であったため、ヴィクトリアの長男、エドワード7世が、イギリスの国王となった時点で、王朝がザクセン=コーブルク=ゴータに変わってしまった。在位の際に、第一次世界大戦の敵国ドイツ風の名前を嫌って、1917年にウィンザー家と改称。イギリスの王室が始まったのは、1066年であり、ヨーロッパの中でも古いが、現在のイギリス王室はウィンザー家英国(1901年〜)と100年そこそこである。
モナコ(1297年〜)
モナコ公家の始祖フランソワ・グリマルディで、グリマルディ家の歴史はヨーロッパでも最長である。レーニエ公とハリウッド女優であったグレース・ケリーとカンヌ映画祭で知り合い、二人の結婚式は、世界に報道された。その息子であるアルベール公が現君主で、オリンピックの水泳金メダリストであったシャルレーヌ妃と結婚。独身時代の公には非嫡出子の2子がいるが、妃との間に双子の王子・王女が誕生している。
ブルネイ王国(1405年〜)
ボルキア家の支配は、Muhammad Shah of Brunei から続いて、アジアの中で石油を算出し豊かな国である。
3人の王妃(第一王妃以外は離婚)との間に5男7女、計12人の子女がある。このうち、サレハ第一王妃との間に生まれた長男アルムタデー・ビラが1998年に王太子となる。
2022年12月11日
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