中国の江沢民(ジアンズォーミン)元国家主席が30日に死去したことを受け、岸田首相や与野党議員から悼む声が相次いだ。
岸田文雄首相は、中国当局関係者に対し「江沢民閣下の御逝去の報に接し、深い悲しみに堪えません。江沢民閣下は、改革開放政策を推進し、中国の発展に貢献されたのみならず、1998年には中国の国家主席として初めて我が国を公式訪問されるなど、日中関係において重要な役割を果たされました。ここに謹んで江沢民閣下の御冥福をお祈りするとともに、御遺族の方々、中国政府及び国民に対し衷心より哀悼の意を表します」とメッセージを送った。
自由民主党の二階俊博元幹事長は「江沢民・元国家主席は、中国の発展に大きく貢献し、1998年に初めて日本を訪れて『日中共同宣言』を発出するなど両国の友好協力関係の増進に大きな役割を果たした。私が運輸大臣を務めていた2000年に画家の平山郁夫氏を団長とする5200人の日中文化交流使節団とともに訪中した際には、人民大会堂で暖かく迎えて頂いたことをきのうのことのように思い出す。江氏の功績をしのびつつ、謹んでご冥福を祈り、遺族にお悔やみ申し上げる」とコメントした。
公明党の山口那津男代表は「天安門事件のあと、社会主義における資本主義化を進めて、今日の中国の発展の礎を築いた。20年ほど前に中国を訪れた際、体格のがっちりした、堂々たる風格を遠くから拝見したが、大きな影響力を示して発展を導き出した役割は大きかったと思う。日本を訪問した際には、不興を買うような発言もあったが、次の胡錦涛時代につながる、日本企業の中国進出の道を開いた。96歳という年齢を考えると、天寿を全うされたのではないか」とコメントした。
一方で、国内外には、江氏の反日姿勢、への厳しい評価もある。
江沢民指導部は反政府活動を行う法輪功の弾圧や、中国国内で「臓器狩り」と呼ばれる臓器売買に対して、アルゼンチンやオランダ、スペインなどで江沢民らを「人道に対する罪」で起訴する動きがあった。
2009年12月17日、アルゼンチンの裁判所は江沢民と最高指導部の元高官・羅幹を、集団虐殺罪と拷問の罪で逮捕状を出した。
2013年11月19日、スペインの全国管区裁判所は80年代から90年代にかけて行われたとされるチベット人への「集団殺害」容疑で江沢民や李鵬ら5人に逮捕状を出したことを発表。その後スペインは国内法を改正し、それに伴い訴追は却下された。
法輪功学習者の監禁者数は数百万〜数千万人、迫害による死者は法輪功の発表によると確認されているだけで死亡者は4363人に上る。Wikipediaには次のような表記がある。
1989年に六四天安門事件が起き、国民を制御するため今まで活用してきたマルクス主義、階級闘争、社会主義などのイデオロギーが通用しなくなったことを悟った江沢民は、国内政治の不満を逸らすべく、そして、マルクス主義、階級闘争、社会主義などの代替イデオロギーとして反日教育を利用し始めた[84]。1991年に江沢民は、「小学生、中学生から大学生まで、中国近代史、現代史および国情教育を行うべき」であり、「1840年のアヘン戦争以降の百年にわたり、中国人民が列強から陵辱を受けたことを、史実を挙げて説明」し、「五四運動以降、中国共産党が誕生し、各族人民を指導して土地革命戦争、抗日戦争、解放戦争を経験し、中華人民共和国を建国し、中国人民が立ち上がったこと」を教育するよう要求した[85]。これを受けて国家教育委員会は「小中学校の中国近代、現代史及び国情教育強化のための全体綱要」を作成し、歴史、地理、語文、思想政治を関連科目として指定し、各科目に対してそれぞれ近現代史、国情教育強化の指示を出した[85]。こうして実施された近現代史教育において、中国共産党は「日本は、日中戦争で独立存亡の危機に中国を直面させ、他方でその日中戦争の中から中国共産党が覇権を握っていく」という「『正しい歴史』に密接にかかわる必要不可欠なキャラクター」であり、日本政府は明治維新から終戦まで一貫して、資源が乏しい中で近代化を実現するため中国を侵略する計画を持ち、戦争は周到に計画されていたとする「戦争必然論」の立場を取るようになり、こうした思想が教科書にも貫かれ、1990年代に入り、こうした観点から近現代史教育が強化された[85]。江沢民は、「教育部門のみならず、思想宣伝部門、政治法律部門、全党、全社会も努力しなければならない」と述べており、1990年代以降、教科書のみならず、テレビ、新聞、映画などの全分野において、青少年に対して愛国主義教育が展開されるようになり、教科書に要求された内容を基礎とする報道、ドラマ、映画などの製作が求められ、教科書に要求された内容が報道、ドラマ、映画などのベースを提供するようになった[85]。江沢民は、自分の父親がかつての大日本帝国の傀儡政権である汪兆銘政権の官吏だったことを隠すために、「自分がいかに反日か」を示そうと、愛国主義教育基地として「抗日戦争記念の地」を選び、1994年に中国共産党中央委員会によって「愛国主義教育実施綱要」が制定され[4]、抗日戦争記念館への見学や、教科書に南京大虐殺、三光作戦、万人坑、731部隊などに関する記載が大幅に増加され、それまで日本軍の侵略に関する記載は小学校では10%、中学校では20%であったが、中学校教科書『中学歴史第四冊』(2001年)では総161頁のうち、41頁が該当しており、大幅に追加されている[84]。そして、「抗日戦争勝利50周年」に当たる1995年から、徹底した反日教育を推進し[4]、1995年9月3日に北京で開催された「首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利50周年大会」で江は演説し、日中戦争の被害者数をそれまでの軍民死亡2100万(抗日勝利40周年の1985年に中国共産党が発表した数値)から死傷者数を含めた上で3500万とした[86]。
2022年12月03日
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