将棋の羽生善治九段(昭和45年9月生、52歳)が藤井聡太王将(平成14年生、20歳)と来年1月8日に開幕する第72期ALSOK杯王将戦七番勝負で対戦することが22日に決まった。国民栄誉賞も受けた昭和生まれの日本の将棋棋士。永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の資格保持者、および名誉NHK杯選手権者の資格保持者。
1000年以上の伝統を誇る将棋界には、様々なしきたりがある。対局の際、どちらが上座に着くかといった席次もその一つ。羽生善治はとにかく目の前の勝負を勝ち抜いていくという強い意志で前へ進み、白星という武器でそれらを封じ込めてきた。ある意味で将棋界の上下や常識を羽生は白星を積み重ねることで、将棋はジャストゲームと言い切った。なるべく無駄なものを排除し、定跡の先入観を捨て、ことごとく塗り替えていった。
羽生は、1982年12月2日(12歳) - 6級で奨励会入会後、翌年には8月に 1級 、1984年(13歳) 二段 、1985年(14歳) 三段、1985年(15歳)- 四段 で プロ入りし、当時史上3人目の「中学生棋士」となった。1989年、19歳で初タイトルとして竜王位を獲得。25歳で棋界で初の全7タイトル(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖。当時のタイトル数は7)制覇達制までは、ともかく未踏の高みに昇ること一筋に降るように来るCMの話を、ほとんど断っていた。
ところが、その後に英会話を習い、チェスの研究もして、海外との交流や、チェスから将棋を見て思考の幅を広げてきた。
羽生善治名人は22歳でチェスにふれ、本でルール等を覚えた。実際にチェスをプレイし始めたのは七冠制覇前後の1996年頃、26歳、日本在住のフランス人チェス講師、ジャック・ピノーから教わった。プレイといっても多忙のため月に1、2度の練習であった。将棋とチェスに関して羽生は「当初似ていると思っていたが、全然違う」と言う。1998年3月に全日本百傑戦で単独優勝、9月のジャパンオープンでは1局敗れたものの4者同率優勝した。すると外国人との対戦などで、英語を話すことの重要性に気付き、対局で多忙だったにもかかわらず、将棋以外はチェスも殆どやらず英語漬け。英会話教室に通い、英語に力をいれた。こうしてアメリカ、フランス、ドイツ、UAEなど各国の大会にも出場するようになった。2006年6月にフィラデルフィアで行われた「World Open」では、英語の取材に羽生自らが英語で応じており、その模様は公式サイトで公開されている。
『東大リスニング』から始まり、キクタン(単語学習教材)、CNNENGLISH EXPRESSを購読し励んでいる。階下でテスト勉強してる長女が耳栓する程通る声で熱心な取り組みだとか。
2006年11月に八王子市より八王子観光大使を委嘱される。
2000年、シカゴで開催された「Chicago Open」で海外大会初参加。また、2002年10月には再来日したGMのジョエル・ローティエに再び森内、佐藤とともに3面指しで挑むも羽生は敗れた(森内のみ引き分け)。2004年には日本人として3人目となるFMの称号を獲得。以降、2007年5月までにほぼ年2回のペースで13回の海外大会に参加(うち2回は早指し戦)、2006年の「World Open」では5勝2分2敗で237人中38位となり、IM獲得への第一歩となる1度目のIMノームを達成した(日本人として3人目)。これらの大会で30分前後の早指し戦ではGMに3勝2敗1分と勝ち越している(但し、当時、早指しはレイティング対象とならなかった。現在は長時間のゲームとは別枠として計算されるようになった)。2007年5月の時点でレイティングは2404と日本国内1位となるが、対局に出場しなくなる、2012年3月、全日本百傑戦に参加し単独優勝(5勝1分、5.5P/6R)を果たす。
本業の将棋は、2011年、それまでの大山康晴の最多記録に並ぶ。2017年には、通算7期の条件を満たして永世竜王の資格保持者となり、初の永世七冠(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖)を達成。さらに名誉NHK杯選手権者の称号を保持しており、合計8つの永世称号の保持も史上初。さらに2018年度(2019年)の第68回大会で優勝し、同大会優勝回数を11回に更新の上、一般棋戦(タイトル戦以外のプロ公式戦)の通算優勝回数が大山康晴を超え史上最多の45回となった。終盤での絶妙の勝負手あるいは手渡し、他の棋士が思いつかないような独特な寄せ手順から逆転することは、主に若手時代、「羽生マジック」と呼ばれ、それを表題とした書籍も複数出版されている。羽生とほぼ同じ年齢には森内俊之(十八世名人資格保持者)や佐藤康光(永世棋聖資格保持者)らトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれてきた。
その後、2016年度には、大山康晴十五世名人に次ぐ2人目の通算1,400勝を最年少・最速・最高勝率で達成となるが、番勝負の結果は2勝4敗に終わり、名人復位はならなかった。2018年度、棋王獲得以来27年ぶりの無冠となり、日本将棋連盟から「前竜王」を名乗るか意向を問われたが、「九段」を名乗ることにした。2019年度は、30年間連続していたタイトル戦の番勝負出場も、31年目で途絶えることとなった。2020年度に史上初の50歳以上での竜王戦七番勝負登場を決めた。その後、2021年度、史上4位タイの29期連続(名人位9期を含む)で在籍していたA級からの陥落。
渡辺明(昭和59年。羽生善治、大山康晴、中原誠に次ぎタイトル通算獲得数 は歴代4位で、 永世竜王 ・ 永世棋王 の資格を保持)は、「佐藤棋聖に敗れA級の羽生-谷川戦を観戦。あまりの名局に感動し動けない。トップ棋士の力を見た一日」、「情熱大陸」の竜王戦密着取材では、第1局の羽生の勝ちに関して「あの状態(渡辺は羽生が攻めきれないと読んでいた)から勝てると読んでいたのは恐らく羽生さんだけじゃないかな…」と、ナレーションの「差を見せ付けられた」との声とともに語った。
2022年11月25日
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