日本には全国各地に、伝統工芸の技術が残っています。陶磁器、木工細工、和紙、伝統楽器や建築などさまざまなジャンルで数百年受け継がれた技術を継承した職人たちがおり、伝統工芸の職人を紹介するテレビ番組や、雑誌の特集をご覧になる機会もあるかと思います。日常の暮らしの道具や空間に使われる、細やかで美しい日本の匠の技術に、世界からも注目が集まっています。
着物をつくる現場にも、こうした伝統技術が各地にあります。中には、後継者がいないという深刻な課題を抱えているものもあれば、若手が活躍する産地もあります。着物や帯はたたむと気づかないが、背模様や裾模様に大きな絵が描かれている。機械化される前の技術のまま、そこには手仕事の粋が残っているのです。
上手、下手、手堅い、読み手、書き手など日本語には「手」を使う言葉が多くあるように、「手」にはその人自身や心までも現れると考えられてきました。手仕事には機械にはできない仕事があり、機械では伝わらない大切な意味を宿しています。伝統工芸の着物の多くに、機械化される前の手仕事が今も残っています。中でも、結城紬は、記録に残る時点から1500年、伝承レベルだと2000年の歴史があると言われ、当時からほぼ変わらない作り方が残っています。人類が手で布をつくった織物の原型が今も受け継がれているのが結城紬なのです。茨城県と栃木県にまたがる鬼怒川流域が産地で日本の文化庁の重要無形文化財に指定され、さらに世界のユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
結城紬の手仕事はどのようなものかというと、まず素材の絹糸は手で紡ぎます。まず、絹糸になる繭をお湯に入れながら広げて、何個分か重ねた真綿を作ります。昔は「綿」とは繭を広げた絹の綿のことでした。そして、糸とりさんがこの真綿からまっすぐ引き出しながら、細く均一な糸をとっていきます。結城紬の着物1枚分に必要な糸の長さは約30km、山手線1周分で、糸とりだけで百日仕事と言われます。
手つむぎで糸ができると、織る前に糸を先に染めるのですが、柄を出すために絣くくりをおこないます。図面にそって絣模様になる点を、木綿糸によって手作業でくくり、染まらないように防染するのです。この手作業での絣くくりは、くくった部分が間違って染まらないよう、強い力で縛らなければなりません。そのため、絣くくりは当時から今に至るまで男性の仕事です。
そして結城紬では布に織り上げていくとき、地機(じばた)という織り機を使うことも特徴です。地機の特徴は経糸(たていと)の片方は織り機に固定し、もう片方を織り子さんの腰で引っ張ること。織り子さんが織っていない時間は、腰から外して経糸を緩み休ませることができるのです。地機は、人間が布を織り始めたときの原始的な織り機の原型。現在となっては、少ない手織りの布の中でも、地機が使われるのは10%未満と貴重な織り機で、結城紬の産地では今も使われています。
結城紬にはこうして40もの工程があり、それぞれの職人さんたちが変わらぬ手仕事で結城紬でしかできない着物を作り続けています。結城紬だけでなく、伝統工芸の着物の多くがこのようなたくさんの人の手で作られているのです。
伝統工芸は各地にありますが、「この土地の気候風土ではないとできない」というものもいくつもあります。例えば、鹿児島県奄美大島の大島紬。大島紬は世界一緻密な絹織物であり、泥染を行うことも特徴です。泥染の大島紬はその名の通り、屋外の泥田に絹糸をつけて染めます。先にテーチ木という奄美周辺で自生する木の枝や幹で煮出した染料で20回ほど染め、それを泥田で1回染める、これを4〜5セット繰り返します。こうして100〜120回も染め重ねられた布は、テーチ木のタンニンと泥田の鉄分が反応し、化学染料では出せない、大島紬ならではの独特の黒色に染まります。
おもしろいことに、この泥染めはどこでもできることではないのです。泥といっても、細い絹糸を傷めないよう細かく丸い粒子の泥であることが条件なので、日本国内でも泥染ができるのは奄美大島だけ。まさに奄美大島独特の自然の恵みです。泥染した絹糸は鉄分により「糸が太る」と言われ、通常の絹糸よりもしっとりふんわりした手触りになります。また、泥田で染められることで虫がつきにくい性質も持ちます。
その土地ならではの気候風土でしか生まれない着物としては、新潟県の麻織物、越後上布もユニークです。
越後上布は、織り上がった後に真っ白な雪原に広げる「雪晒し」という工程を行います。初春の3月頃の晴れた日、真っ白な雪の上に約13mもある越後上布の反物を広げるのです。雪にさらすことで、麻布の白色が際立ち、さらに美しい布になると言われています。その理由は、雪がとけるとき、オゾンまたは水素イオンが発生して麻の繊維を漂白するからと言われますが、今も研究過程ですが、越後上布の作り手さんたちは、雪晒しをすることで、麻布の白色が際立つことを経験的に知っていたのです。そして新品だけでなく、何度か着た越後上布も、雪晒しをすることで美しく蘇えらせることができるそうです。雪国だからこそ生まれた着物なのです。
こうして昔ながらの手仕事でつくられた伝統工芸の着物や帯は、見た目の芸術的な美しさはもちろんのこと、機能面でもいくつも良さがあります。機械で作られたもののほうが丈夫なイメージがあるかもしれませんが、実は手仕事で作られた着物はとても丈夫です。結城紬や大島紬は何度も着て、水で洗う手入れをするにつれて、どんどん柔らかく、着心地が増していきます。親子3世代で、100年にわたり着続けることができます。数十年前に着られていたシンプルな男物の大島紬を、仕立て直して女性が着ることもできます。また、結城紬を着た人たちは「結城紬はとても軽くてあたたかい、そして手触りが素晴らしい」といいます。大島紬は布の糸目がぎゅっと詰まった、つるんとなめらかな布なので、花粉や埃、動物の毛などもつきにくくなります。
祖母の形見の大島紬を着るとまるでオーダーメイドスーツのよう。軽いので一日着ていても疲れることがなく、立ったり座ったり思い切り動いても着崩れません。新幹線や飛行機の移動で長時間座っていても生地の張りはそのまま。ときには小雨に降られてしまっても、大島紬ならなんとかなる。奄美大島の大自然と人々の手で生まれた大島紬には、なんとも言えない頼もしさがあります。
結城紬、大島紬、越後上布、西陣織、科布など日本各地にはそれぞれ、土地の風土に根ざしたユニークな着物があります。
こうした日本の伝統工芸品の着物は、独特の美しさで、世界的にも注目されています。ですが、実際には大変な手間暇がかかるため、市場に出ると高級品になります。奄美大島の大島紬ならば、一枚で数十万円、ときには100万円を超えることも珍しくありません。
「着物は高価だ」と言われてしまうこともよくわかります。ですが、関わる職人の方々の懸命さと、その方々の生活を想像できるようになると、伝統工芸の着物の価格の見方が変わるのではないでしょうか。
2022年11月04日
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