日本の優れたリーダーであり、世界の枢要な政治家であり、印日友好の偉大な庇護者であった安倍晋三さんは、もうこの世にいません。日本と世界は偉大な先見者を失いました。そして、私は大切な友を失いました。私が初めて安倍さんに会ったのは、私がグジャラート州の州首相として日本を訪問した2007年です。以降、私達は役職や儀礼の枠を超えた友情を育んできました。
京都では共に東寺を訪問しました。共に新幹線で旅をしました。アーメダバードのサバルマティ・アシュラム、カシのガンガ・アーラティにも行きました。東京では趣向を凝らした茶の湯を楽しみました。私達は実に多くの思い出深い交流を重ねてきました。中でも、山梨県の富士山麓にひっそりとたたずむ安倍家の別荘にご招待いただいたことは、大変名誉なことでありました。
安倍さんが、首相という役職から離れていた2007年から2012年、そして2020年以降も、私達の個人的な絆はますます強固なものになりました。安倍さんとの会合は、毎回、知的な刺激に満ちていました。安倍さんは常に、統治や経済、文化、外交政策やその他様々な分野に関する新しいアイデアや貴重な洞察を沢山共有してくださいました。
グジャラート州の経済政策を策定するにあたり、私は安倍さんの助言を参考にしました。そして、グジャラート州と日本の間に活力あるパートナーシップを構築する上で、安倍さんの支援は不可欠でした。その後、インドと日本の戦略的パートナーシップを変革させるというこれまでにない取り組みにおいて、安倍さんと共に働くという栄誉に恵まれました。安倍さんは、それまで比較的経済面に限定されていた印日二国間関係を、国家利益にかなう他分野に拡大しただけではなく、両国そして域内の安全保障の柱となりうるよう、より広範かつ包括的な関係へと昇華させたのです。
安倍さんにとって印日関係は、両国国民そして世界にとって最も重要な関係の一つでありました。安倍さんは、インドと原子力民生利用協定を結ぶことを目指していましたが、これは日本にとって最も難しい課題のひとつでした。インドの高速鉄道開発で最も寛大な条件を提示する決定をされたのも、安倍さんでした。安倍さんは、独立したインドが成長を加速させる中、日本がその支援を行うという体制を作り上げたのです。これは、インド独立後の歴史に残る偉大な功績でした。
インドは安倍さんの印日関係への貢献に対し、2021年にインドの栄誉賞であるパドマ・シュリ賞を授与し、その功績を称えました。
安倍さんは、世界の複雑かつ多岐にわたる課題について深い洞察を持ち、政治や社会、経済、国際関係に対する先見の明、選ぶべき選択肢を判断する知識、物事を明確化する能力、慣習にあらがい決断する力、さらに、人々そして世界を背負い進むという類まれな能力を持った人物でした。広範な分野を対象にした安倍さんの経済政策、アベノミクスは、日本経済を再活性化させ、日本国民のイノベーションと起業家精神の新たな着火剤となりました。
時代の変化を読み取り、嵐の到来を予見した安倍さんの先見性と、これらに対応する安倍さんの指導力は、安倍さんが私達に残した最大の贈り物であり、長く受け継がれる遺産です。世界も常に恩義を感じることでしょう。2007年に来印した安倍さんは、インド議会で演説を行い、その中で、インド太平洋地域が今世紀の世界を形作ることになる、と力強く述べ、同地域が現代における政治的、戦略的そして経済的現実として台頭するための基盤を他に先駆けて築きました。
安倍さんは、国家主権の尊重や領土保全、国際法や国際規定の順守、平等の精神にのっとった平和的な国際関係の遂行、そしてより深い経済活動を通じた繁栄の共有といった、安倍さん自身が特に大切にしていた価値観をベースに、安定・安全で平和と繁栄の未来のための枠組みや構造の構築を、前線に立って主導してきました。
QUAD(クアッド)やASEAN主導の各種フォーラム、インド太平洋イニシアチブ、インド太平洋地域及びアフリカにおける印日開発協力、そして対災害 強靱きょうじん インフラ連合などは、全て安倍さんの支援を受けています。遅疑逡巡する国内世論や海外の懐疑的な見方を乗り越え、静かにそして地道に、安倍さんは防衛や接続性、インフラや持続可能性を含む日本のインド太平洋地域における戦略的取組を変革しました。安倍さんのおかげで、インド太平洋地域はより楽観的な展望を描けるようになり、世界も未来に自信をもてるようになりました。
今年5月に日本を訪問した際、安倍さんにお会いする機会がありました。安倍さんはちょうど、日印協会の会長に就任されたばかりでした。安倍さんは相変わらず気力にあふれ、魅力的でカリスマ性があり、そしてウィットに富んでいらっしゃいました。会合で安倍さんは、印日友好を更に強化するための革新的な考えを共有してくださいました。その日、さよならを言って別れましたが、まさか最後の会合になるとは思ってもいませんでした。
私は安倍さんの温かい人柄や知力、優雅な身のこなしや寛大な心、そして友情とご指導に、これまでも、そしてこれからも感謝し続けます。安倍さんに会えなくなるのは、とても寂しいです。
私達インド人は、心を開いて私達に接してくれた安倍さんの死を、まるで家族を失ったかのように悼んでいます。
安倍さんは、安倍さんが最も大事にしている事されていた時に命を落としました。安倍さんは、人々に勇気を与えようと話されていた時に、安倍さんの人生は悲劇的な形で断たれましたが、その遺志は永遠に受け継がれるでしょう。
インドの人々を代表し、そして私自身を代表して、日本の皆様、特に安倍昭恵夫人と安倍家の皆様に、心からの哀悼の意を表します。
オーム・シャンティ(心の平安を)。
国葬に出席した長崎県平戸市の黒田成彦市長(62)が自身のツイッターに、一般献花者の多さに触れ「テレビよ、反日勢力よ。この静かな反撃を直視せよ!」と投稿した。
国葬に反対する人たちを念頭に書き込んだとみられるが、「反安倍勢力を意味したもので、国葬に反対する人たちを指したものではない」と説明した。
黒田市長は、長崎県市長会の代表として国葬に参列した。ツイッターの投稿では、妻から「今までテレビは国葬反対の人ばかりを写していたから、賛成の人の静かな反撃を感じる。一般献花する人の列がすごいね。」などとし「まさにその通り」などと書き込んだ。
黒田市長は長崎県議を経て、2009年の市長選で初当選し、現在4期目。
国葬の会場となった武道館近くの九段坂公園には一般向けの献花台が設けられた。献花のために東京都渋谷区から来た女性(78)は、順番を待つ列が長蛇に及んでいたことから献花をあきらめた。東京メトロの九段下駅に着き、列の最後尾に並ぶにはJR中央線四ツ谷駅方面まで行かないといけないと警備中の警察官から聞き、断念した。
友人2人と列に並ぼうとした東京都板橋区の大学生の男性(20)も、献花をあきらめた。「こんなに人が集まると思わず、見通しが甘かった」と話した。
参照 毎日新聞(9/27)
2022年09月27日
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