スマートフォン専用ページを表示
このブログでは、地球サイズの行動派」をモットーにしてきた通り、市議・海津にいなの日々考えている事、見たこと、聞いた事、考えたこと、日々の活動を日誌としていきます。グローバルな視点で我孫子の今昔を紡ぎ合わせてABIKOと「観光」(まちの輝きを観せる意)、SDGsを率先してきたことを伝えます。
我孫子は、嘉納別荘と白樺派の関わりは深く、『リーチ先生』の新聞連載(2018)では我孫子の話がふんだんに登場していました。陶芸家として決意するリーチには、白樺派の一員として我孫子での暮らしが人生で最もハッピーな思い出だと記していた。実は、平将門の活躍の拠点だった時期もあったと調査がされてきました。NHK大河ドラマでロケ地観光のブームとなった『平将門、風と雲と虹と』(1976)の際は、まだ知られてずの郷でした。2019年では、同ドラマ『いだてん』によって嘉納治五郎の艱難辛苦がつまびらかにされ、東洋初のオリンピックが東京に決まるまでには、手賀沼もオリンピック競技施設の候補にと考えていた事が知られ、市民の浄財で嘉納銅像が建立(2020年)されました。五輪開催に奮闘した嘉納は晩年は我孫子別荘とご自宅とに半々でくらし、急逝された後にはご家族が移り住まわれていたことが近年の調査で分かってきました。さあ!智慧をもたらず巳年こそ、ねじり鉢巻きで、巻き返す年に!!

海津にいな 「あっちこち@ABIKO」活動日誌

<< コロナ禍、遅れをとる経済正常化 | TOP | 最悪だった日韓関係が改善傾向 >>

2022年09月01日

ゴルバチョフの逝去、  ウクライナ家系のロシア人だった

 防災の日の今日、岸田首相は南海トラフ地震を想定した訓練を行った。また、このところの記者会見では、自民党議員の旧統一教会との癒着があった点などの反省、及び故安倍首相の国葬準備への理解を得るように進めると話した。 

 30日に91歳で死去したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は、帝政ロシア、ソ連の最高指導者につきまとう冷酷なイメージを覆す笑顔と柔軟性を武器に、硬直化したソ連の内外政策を転換した。 ゴルバチョフ氏の政敵で新生ロシアのエリツィン初代大統領が2007年に死去した際には国葬が営まれた。タス通信によると、ロシアの大統領報道官は8月31日、ゴルバチョフ氏の国葬を執り行うかどうかについては「まだ決まっていない」と述べた。国葬が行われた場合のプーチン大統領の参列についても未定という。

 第2次大戦後、半世紀近くに及んだ東西冷戦を終結に導いた。
ゴルバチョフ氏は国際的に称賛を浴びる一方、1991年に超大国だったソ連を崩壊させた張本人として、後継国家ロシアでの評価は低い。

 ゴルバチョフ氏は85年3月、54歳でソ連の最高指導者ポストだった共産党書記長に就任した。ソ連は当時、アフガニスタンへ侵攻中で、ソ連を「悪の帝国」と非難した米国と軍拡競争を繰り広げていた。ゴルバチョフ氏の書記長就任時、国家予算の約40%を軍事費に充てていたとの指摘もある。内外政策の転換に踏み切った背景には、ソ連の経済と社会の疲弊が深刻で改革が急務だったことがある。

 米欧との和解にかじを切った「新思考外交」では、85年にレーガン米大統領(当時)とスイス・ジュネーブで初会談に臨み、核軍縮に道筋をつけた。89年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、翌12月には米ソ首脳による冷戦の終結宣言、90年の東西ドイツ統一の実現にも貢献した。この年、ノーベル平和賞を受賞した。

 国外では「ゴルビー」との愛称が定着し、政界引退後の2000年代にはフランスの高級ブランドの広告に登場したこともある。

 ソ連構成国だったウクライナで86年に発生したチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の爆発事故では、事故を隠して被害が拡大したことを批判され、「グラスノスチ(情報公開)」を加速させた。言論の自由拡大や民主化の推進は、ソ連崩壊後のロシアで民主化や人権運動の機運が醸成される種をまいた。ゴルバチョフ氏が共産党の再建を目指し、86年に掲げた「ペレストロイカ(改革)」は日本でも流行語になった。「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。共産党の一党独裁を放棄し、90年に大統領制も導入した。米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開いて東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。

 ゴルバチョフ氏自身は91年12月のソ連崩壊と同時に失脚し、政治的影響力が回復することはなかった。露国営テレビは8月31日、経済学者の見方として、「(ゴルバチョフ氏が)何もしなくてもソ連は10〜15年は存続できた」と報じた。プーチン大統領もソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と評している。




出典:読売新聞(9/1)ゴルバチョフ氏は1931年、ロシア南部の北カフカスに近いプリヴォリノエ村で生まれた。『ゴルバチョフ――その人生と時代』(ウィリアム・トーブマン著、白水社)によると、一帯はいわゆる開拓地。18世紀以降、コサックや農奴、追放された農民などが入植し、開墾した土地だ。村民はロシア人とウクライナ人が半々だった。

ゴルバチョフ氏の父方の祖先は19世紀末に、ロシア内部から移住してきた。母方はウクライナ北部チェルニゴフからやってきた。祖父母はウクライナ人。したがってその娘で、後にゴルバチョフ氏を生むマリーヤさんもウクライナ人だった。

ゴルバチョフ氏は3歳からの数年間を、ウクライナ人である母方の祖父母と集団農場で暮らした。13歳になるまで列車を見たことがなかったという。生まれ故郷は相当の田舎だったことがわかる。

ゴルバチョフ氏の母は、ロシア語の読み書きができなかった。母が独ソ戦で出征した夫に宛てて手紙を書く時は、まだ子どもだったゴルバチョフ氏が口述筆記していた。

ゴルバチョフ氏は成績が優秀で、難関のモスクワ大学に進んだ。在学中に1学年後輩のライーサ・チタリェンコさんと出会い、1953年、学生結婚した。ゴルバチョフが一目ぼれした。

『ゴルバチョフ』は、若い2人には共通点が多かった、と書いている。共に貧しい階層の出身者だった。肉親が、1930年代に吹き荒れた「粛清」の被害にもあっている。そして、「ウクライナ」。ライーサさんの父も、ゴルバチョフの母もウクライナ人だった。

しかも、ライーサさんの父は、ウクライナ北部のチェルニゴフ生まれ。そこは、なんとゴルバチョフ氏の母の一族がかつて住んでいた場所だ。2人の「ルーツ」は重なっていた。

現在のウクライナでは、国民の約2割がロシア系とされている。ロシア語が話せる人は国民の半数を超えるという。

旧ソ連は多民族国家だったが、現在のロシアにも、182の民族が住む。ロシア人(民族)が全人口の77.71%を占めるが、同じ東スラブ人のウクライナ人の割合も1.35%。全体の3位となっている。ゴルバチョフ氏の家族史は、こうしたロシアとウクライナの強い結びつきが凝縮されている。

ゴルバチョフ氏は、東西冷戦終結への功績でノーベル平和賞は受賞したものの、自らのルーツに関わる紛争は未解決のまま残されることになった。

先のAP通信のインタビューでゴルバチョフ氏は、プーチン評を尋ねられ、こう答えている。

(以下引用)

「最初のうち私は彼をほぼ全面的に支持していましたが、やがて批判の声をあげはじめるようになりました。いまでもその見解を変えるつもりはありません」

出典:J-Cast n絵ws(9/1)
【関連する記事】
  • 安倍のマスク
  • 好奇心を忘れない、それが成功への初めの一歩
  • やったもん勝ち、というのも一理あり
  • 我孫子市の清掃事業の現状
  • 投打で活躍解禁、大谷GO!!
  • 食卓を大事にすること
  • 日本人の生真面目さ
  • 自治体の責務、ごみ処理の経費
  • コホミンでの若き音楽家コンサート     市制55周年を祝う
  • 米国家情報長官、広島訪問後「核なき世界」訴え
  • 心根の持ち方次第で
  • 正しい休み方 
  • コミュニケのチカラ
  • 議論する是非をわきまえて対応すれば良し
  • やってみなはれ
  • 古代人類史からの未来予測
  • ミスター89、背番号3、長嶋茂雄さん逝く
  • 海津にいな 6月議会質問
  • 時代の変化、改悪それとも進化
  • 古古古米、古古米、古米
posted by Nina at 10:22| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索ボックス
 
QRコード
PROFILE
ブログ製作者:海津にいな                 (KAIZU Nina、新菜)。
経歴:(株)発明工房役員、我孫子市議会議員(5期)を続行中。児童英会話インストラクター、野村総研(政策研究部所属など)勤務した。放送大卒、立教大学(観光学研究科 )修了。筑波大学大学院(博士課程後期 単位取得退学)
コミュニティ−活動:めばえ幼稚園・四小PTAの役員/青山台自治会副会長・三小・我中PTAの役員/久寺家学習指導(書道)、生涯学習推進基本計画策定委員(’99) 
NGO活動、他:NGO・ACT(我孫子カルチャー&トーク)の会、開かれた県政を進める会世話人(〜‘09)、女性のための政治スクール(10期)、千葉県ボランティアコーディネーター、千葉県観光人材育成セミナー。日本観光研究学会、eシフト、自殺対策議員有志の会、自治体ウオッチ(世話人)。
市民活動:我孫子市国際交流協会(初代理事・広報部長)、我孫子の文化を守る会、我孫子フィル後援会、我孫子地産地消協推進協議会、我孫子市消費者の会(`90〜)、エコライフ、谷津を守る会、かっぱ祭り実行委員(第1〜3回)、AYA(フィンランド劇団招聘)、きもの愛好会、湖北山の会、市史研究センター会員、まちづくり編集会議:将門プロジェクト企画。
生涯学習:オープンスクール(武蔵野美大、川村学園女子大学、中央学院大学、麗澤大学、上智大学、放送大学)にてリカレント他、国際理解活動の必要からギリシャ語、スペイン語、仏語、韓国語、英語を学ぶ。CCC(異文化コミュニケーション=英会話クラス)
Emailabkkaizu●gmail.com
http://akiplan.blush.jp/ninakaizu/ 色絵我孫子風景図鉢 1918.jpg
過去ログ
2025年06月(19)
2025年05月(31)
2025年04月(30)
2025年03月(32)
2025年02月(30)
2025年01月(30)
2024年12月(31)
2024年11月(23)
2024年10月(31)
2024年09月(30)
2024年08月(31)
2024年07月(31)
2024年06月(30)
2024年05月(29)
2024年04月(29)
2024年03月(30)
2024年02月(29)
2024年01月(31)
2023年12月(31)
2023年11月(30)
2023年10月(31)
2023年09月(30)
2023年08月(31)
2023年07月(31)
2023年06月(30)
2023年05月(31)
2023年04月(30)
2023年03月(31)
2023年02月(28)
2023年01月(31)
2022年12月(31)
2022年11月(30)
2022年10月(31)
2022年09月(30)
2022年08月(30)
2022年07月(31)
2022年06月(29)
2022年05月(31)
2022年04月(31)
2022年03月(31)
2022年02月(29)
2022年01月(30)
2021年12月(31)
2021年11月(30)
2021年10月(31)
2021年09月(29)
2021年08月(31)
2021年07月(33)
2021年06月(30)
2021年05月(31)
2021年04月(29)
2021年03月(31)
2021年02月(28)
2021年01月(34)
2020年12月(31)
2020年11月(30)
2020年10月(31)
2020年09月(30)
2020年08月(31)
2020年07月(31)
2020年06月(30)
2020年05月(31)
2020年04月(30)
2020年03月(31)
2020年02月(28)
2020年01月(28)
2019年12月(20)
2019年11月(27)
2019年10月(32)
2019年09月(30)
2019年08月(31)
2019年07月(30)
2019年06月(30)
2019年05月(31)
2019年04月(30)
2019年03月(31)
2019年02月(28)
2019年01月(31)
2018年12月(31)
2018年11月(30)
2018年10月(31)
2018年09月(30)
2018年08月(31)
2018年07月(31)
2018年06月(30)
2018年05月(31)
2018年04月(30)
2018年03月(31)
2018年02月(28)
2018年01月(31)
2017年12月(31)
2017年11月(30)
2017年10月(31)
2017年09月(30)
2017年08月(30)
2017年07月(31)
2017年06月(31)
2017年05月(31)
2017年04月(30)
2017年03月(31)
2017年02月(28)
2017年01月(31)
2016年12月(31)
2016年11月(30)
2016年10月(31)
2016年09月(30)
2016年08月(31)
2016年07月(31)
2016年06月(30)
2016年05月(31)
2016年04月(30)
2016年03月(31)
2016年02月(29)
2016年01月(31)
2015年12月(31)
2015年11月(30)
2015年10月(31)
2015年09月(30)
2015年08月(31)
2015年07月(31)
2015年06月(30)
2015年05月(31)
2015年04月(30)
2015年03月(31)
2015年02月(29)
2015年01月(31)
2014年12月(31)
2014年11月(30)
2014年10月(31)
2014年09月(30)
2014年08月(31)
2014年07月(31)
2014年06月(30)
2014年05月(31)
2014年04月(30)
2014年03月(31)
2014年02月(28)
2014年01月(31)
2013年12月(31)
2013年11月(30)
2013年10月(31)
2013年09月(30)
2013年08月(31)
2013年07月(31)
2013年06月(30)
2013年05月(31)
2013年04月(30)
2013年03月(31)
2013年02月(28)
2013年01月(31)
2012年12月(31)
2012年11月(30)
2012年10月(31)
2012年09月(30)
2012年08月(31)
2012年07月(31)
2012年06月(30)
2012年05月(31)
2012年04月(31)
2012年03月(31)
2012年02月(23)
2012年01月(13)
2011年12月(19)
2011年11月(25)
2011年10月(17)
2011年09月(26)
2011年08月(22)
2011年07月(19)
2011年06月(25)
2011年05月(23)
2011年04月(9)
2011年03月(25)
2011年02月(22)
2011年01月(14)
2010年12月(10)
2010年11月(7)
2010年10月(13)
2010年09月(13)
2010年08月(15)
2010年07月(7)
2010年06月(8)
2010年05月(4)
2010年04月(12)
2010年03月(8)
2010年02月(6)
2010年01月(7)
2009年12月(9)
2009年11月(4)
2009年10月(13)
2009年09月(7)
2009年08月(6)
2009年07月(4)
2009年06月(3)
2009年05月(1)
2009年04月(1)
2009年03月(4)
2009年02月(3)
2009年01月(4)
2008年12月(3)
2008年11月(3)
2008年10月(1)
2008年09月(12)
2008年08月(3)
2008年07月(3)
2008年06月(1)
2008年05月(2)
2008年04月(1)
2008年03月(1)
2008年02月(2)
2008年01月(1)
2007年12月(2)
2007年11月(5)
2007年10月(2)
2007年09月(3)
2007年08月(5)
2007年07月(4)
2007年06月(12)
2007年05月(10)
ブログへのコメント
我孫子市民プライドは、ふるさと評価は反比例
 ⇒ 志賀 桑弓雄 (03/29)
 ⇒ 志賀 桑弓雄 (03/29)
明日に向けて Goo!
 ⇒ 及川正尋 (01/03)
精米1ヶ月程で商品棚から撤去とは
 ⇒ 及川正尋 (08/11)
『リッチランド』、米核燃料製造の街のその後
 ⇒ 及川正尋 (08/10)
悲喜こもごも@Paris 2024
 ⇒ 及川正尋 (08/10)
「歴史的暴落」、市場の危うさ
 ⇒ 及川正尋 (08/07)
超高齢化、直下型地震への都の対策
 ⇒ 及川正尋 (08/06)
ネパールと日本、我孫子(若松)での友好支援
 ⇒ 及川正尋 (08/06)
非暴力理論
 ⇒ aki (01/11)
我孫子市議選、スタート
 ⇒ 古谷一成 (11/14)
<< 2025年06月 >>
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
〜考え、選び、行動する〜E-citizen@ABIKO 「いいね!我孫子」 我孫子市つくし野1-22-28 ☎・Fax 7184-9828 Email:ninakaizu●gmail.com  http://testxmobile.seesaa.net/  もご覧ください (^_-)-☆
Powered by Seesaa
Seesaaブログ
RDF Site Summary
RSS 2.0
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える