
尹は大学在学中の1980年の光州事件における流血を伴う鎮圧と関連した模擬裁判に検事役で参加し弾圧を行った全斗煥大統領に死刑を求刑した。当時の状況では、模擬裁判でも死刑を求刑するのは容易ではなかった。尹錫悦はこの模擬裁判の後しばらくの間江原道に逃げた[5]。
1980年と1981年の二度兵役を延期したが1982年に不同視によって兵役免除処分を受けた。
ソウル大学校4年生のときに司法試験1次試験に合格したが2次で不合格となる。9年間不合格の後1991年第33回司法試験に合格。司法浪人の原因は定かでないが全斗煥模擬裁判が影響したと見なされている。そのため他の司法研修院の同期よりも年齢が高かった。
9日、ソウル(聯合ニュース)
尹錫悦の両親はいずれも大学教授である。父親の尹起重(ユン・ギジュン)は、延世大学校で統計学教授を務め、現在は名誉教授である。応用統計学科の設立メンバーである。母親は、梨花女子大学校で教鞭を取っていた。尹起重は、日本の一橋大学へ留学し、同大学の客員教授を務めた。日韓の学術交流にたびたび関与し、複数の日本人学者と面識がある。水田洋・名古屋大学名誉教授は、2006年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学で講義をすることになって、尹起重名誉教授(学術院会員)が日本語から朝鮮語への通訳をひきうけて下さった。初対面のあいさつもそこそこに、「岩波文庫の『国富論』の訳注はいいですね」といわれたのには、おどろくとともにうれしくも思った」「一橋に留学したことがあり、ぼくの経歴も知っていたらしい」と述べていた。尹起重は、2021年時点では「梅軒(メホン)・尹奉吉義士記念事業会」の理事を務めている。2021年3月29日に、息子である尹錫悦が、大統領選挙への出馬表明をソウル特別市・瑞草区の「梅軒尹奉吉義士記念館」で実施した。