コロナ禍の影響で、失職したり収入が減ったりする女性が増え、女性不況という言葉も生まれた。どんな人も取り残さない社会を作るためにも、各党の公約や女性候補の擁立状況などを見ながら、有権者は投票により自分の意思を示してほしい。
衆院議員に占める女性割合は、世界的に見ても低い。各国議会で作る列国議会同盟によると、衆院(下院など)に占める女性の割合は9月現在、9.9%で、世界193か国中165位。国は、男女の候補者数ができるだけ均等になるよう、第5次男女共同参画基本計画で、衆院選の候補者に占める女性比率を25年までに35%にする目標を掲げる。
そこで、2018年に「政治分野における男女共同参画推進法」が施行され初となる衆院選となった。女性議員増に向け、各政党はどんな取り組みをしてきたかのかといえば、そのための目標を設定していない党が5党と半数を超えた。
同法では、政党などに男女それぞれの候補者数の目標設定などに自主的に取り組むよう求めている。読売新聞は9月下旬から、主要9政党に、今回の衆院選で女性候補者の人数や全候補者に占める比率の目標を設定したかや、実際の擁立の状況などについて、アンケートを実施した。
自民党は、2017年の前回衆院選での候補者の比率は7.5%だった。今回、目標設定はしていないが、「積極的擁立を地方組織にも働きかけている」とする。全立候補予定者に占める女性の比率は11日現在、8.8%。公明党も目標の設定はなく、同日現在、7.5%だ。
立憲民主党は、女性比率の目標を30年までに30%超としている。5日現在、17.1%。男女均等の50%を目指す共産党、社民党はいずれも、前回衆院選に比べ、女性の比率を大きく伸ばしている。
昭和の時代に、女性の投票率が男性よりも高いという事 実は、 政治への関心の高さを示すものではなく、むしろ夫の勤務先の関係など動員の要素が強い。女性の政治や社会に対する関心が男性よりも従来低かったのは、教育 の程度や労働市場への参加割合が男性と比べて低かったことと関係して いる。
女性に対して良妻賢母を求める性別役割規範は強固であり、女性の平均初婚年齢が、1950年で23.0 歳という時代に大学4年という長い修学年数では婚期を逃しかねない との判断があった。また、結婚まで就業につかせないと考える「花嫁修業」という考えも親の側、世間にも強くあった。卒業後、 就職も一時的な就業も進学もしない無業者が 短大卒業女子のうち 1950 年で 41% を占めていたことも 短大が花嫁学校 のイメジ
形成に資することとなった。
短大が四大と比べて 早い段階で全国に展開されていたので、娘はできるだけ手元に置いておきたい という親の希望を実現しやすく、 自宅通学できれば仕送りという出費も抑えることができるという利点もあった。 性別役割規範の反映により 多くの親が 男子には大学までを希望し、 女子にはより低い学歴しか望んでいなかった。
そして最大の要因が、 さらなる性別役割意識の希薄化であろう。 ここ数年で、 キャリアウーマンがかなり年下の男性と結婚することや 女性のほうが身長の高いカップルが珍しくなくなった。 ほんの少し前まで、女性が 年下、身長下、 収入下 のカップルや夫婦が普通 だったのだ。 仕事の形態としても、 従来の M 字型雇用ではなく、一環型就業ーースを希望するものの割合が特に都市部で増えている。
結婚観の変化も著しい。特に女性は1998年で、結婚しなくてもよい と考える割合が上昇し65% にも上ぼっている(男性は 同 年で49%)。実際に初婚年齢が特に都市部では 30歳代という時代に、適齢期を逃すので女性には短期教育が適当という主張は全く意味をなさなくなった。
それらの理由で高等教育機関への進学率で 1990年を直前に男性の割合を追 越し25-34歳の年齢区分では 25年間で 20%以上女性の労働力率が上 がる中で、 政治への関心も高まり、特に大卒では政治への関心について 男女差は消滅した。
そのため女性の中でも政治に関心を持つ層が増大する中で、 高学歴化と労働市場 への参加によって得られた知識や資源を元に「現在の社会を変えていこう」 という意識を持って候補者になろうとする層も増えていく。
衆議院で比例制導入後、 候補者も当選者も女性が急増したのは、1990 年代になって急激に男女役割規範が希薄化したことに加え、 自民党分裂と新党結成に続く政党の 離合集散の繰り返しによって政党システムが揺らぎ、 それまでとは異 なった候補者供給源として 女性へまなざしが向けられたことが大きい。
しかし、実際に女性が候補者になるには男性以上にいくつものハードルを越えな くてはならない。 特に、立候補の意志を持った女性が選挙に打って出ることを妨げていたのは 直接的には選挙制度であった。衆議院の中選挙区制度では 候補者は自 らが組織する後援会を基盤に三バンを獲得することが必要であったが その点で女性は不利であった。三バンを手に入れやすい国会議員の供給 源となっていた職種に就いている女性の割合も従来きわめて低かった。
1970年代半ばから始まった国連を舞台にした男女平等推進の動きやそれに呼応して展開された国内の運動や政府の取り組みもあり1990 年代以降育児休業法や介護保険法、男女共同社会参画基本法などが制定され、男性の性別役割意識も急激に薄れてきたにもかかわらず、 依然として男性の家事分担は国際比較の観点から見てもきわめて短時間のままである。
役割規範が 90年代以降日本で著しく弱体化してきた。性別役割意識弱体化には 男女平等への国際的取り組みやそれに呼応 した形で展開されてきた女性団体の活動や行政の取り組みが寄与してき たことは言うまでもない。
出典HP:https://www.jrc.sophia.ac.jp/pdf/research/bulletin/ki22/saih.pdf
https://www.jrc.sophia.ac.jp/pdf/research/bulletin/ki21/saih.pdf
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