
↑ 大入り満員の会場(クリックすると拡大)
公演の題字看板も見事な出来でした!
そして、我孫子の湖北周辺でも、同様の伝聞がされていたので、知る人ぞ知るも調べてみるまで気がつかなかったのかな、と千年を振り返るには一度だけでは分かりませんね。市民のチカラに乞うご期待 (^_-)-☆

わたしたちの仲間と将門プロジェクトは、コホミンが将門さまの本拠地だったのではとの戸田説(会場の前方に立つ)に沿って調査を続けてきて、坂東の地の英雄は湖北が本拠地だったのではという角度から、歴史を再度みてみたいとの思がつのってきました。
有名な成田山が、実は開山の縁起に将門折伏の勅使が護摩を焚い調伏を祈願するためだったとかの謂れになっているので、湖北に古くから住む方たちは、成田詣でには行かないという。その上、将門さまの九曜紋に似ているのできゅうりを輪切りにしないという言い伝えもありる。しかも、きゅうりの切り口将軍家の紋どころであるが葵の紋に似ているため、江戸時代の武家はそれを食する事を避けたという話であったとか、サムライのいない時代に確かめようもないが。
それでも、柏市根戸、花野井や大室の農家あたりにまでこうした、将門さまについての言い伝えが残っているのは、村人には畏れ多いという記憶がずっと続いてのことだったのだろう。柏市での聞き取りをした方のブログにあった:「昔はな、農家に嫁にくるとな、先ず最初に、キュウリを食べるな、と教えたものだよ」 と、地元の人は話す。「どうしてキュウリを食べてはいけないのですか」 というわたしの疑問に、お爺さん答えて曰く、「キュウリを輪切りにすると、その切り口が将門様の家紋に似ているからだ」 との答え。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁|
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