こんな時こそ先入観や固定観念を壊し、自分の見方や考え方の枠を広げてみたいと思う。
ワクチンは明石家さんまと同じに、海津にいなも、他の方、お先にどうぞという対応で、マスクと手洗い・消毒は気をつけてきた。
美容院に行かないままで過ぎたが、家で本を読み、Zoomで世界各国の人と語る木曜ごとのフォーラムに参加、旧友に手紙を書いたり、新しい友をつくり、家族、仲間と談笑が増えた。1年9か月、クラスターの心配されたジムにも行き?!確かに、サプリの接種は種類が増えた(6種、プロ+ポリスミスト)、それが効いたのもしれないが、風邪もひかずに済んだのかなぁと。
岬龍一郎『いい言葉は、いい仕事をつくる』(PHP文庫)に、アフターコロナの対処になるようなことが書いてあったのでご紹介したい。
ソニー創業者の井深大さんが、本田宗一郎さんについて、こう語っている。「技術者として、本田さんと私の間に共通していたのは、二人とも厳密に言えば技術の専門家でなく、ある意味で素人だったということでしょう」
もちろん二人ともすぐれた技術者なのだ。ただ、技術から発想するより、「いままでにない、こういうものをつくりたい」からスタートして、達成のために技術を動員するというやり方で共通していた。
技術が先にきて、「できる」「できない」を判断しがちな専門家とはそこが違った。技術者でありながら「素人的な発想」ができたからこそ、オリジナリティあふれる製品を世に送り出せたのだろう。
《ミスでダメになるのではない。ミスを恐れてダメになる。》
《熟練工は「できない」ことをあまりに多く知りすぎている。》 ――アメリカの自動車王ヘンリー・フォード
豊かな経験や知識は仕事の武器であるとともに、新しいなにかを始めようとするとき、ブレーキをかけるやっかいな存在に変わることもある。
ある自動車メーカーの海外工場では、熟練工が1日2台の車をつくっていた。売れ行きが伸びたため、改善を重ねて1日8台つくる体制をつくったところ、熟練工たちの多くが「2台でも精一杯なのに、8台もつくったら体を壊してしまう」とやる前から及び腰になり、退職者が相次いだ。仕方なく車づくりの未経験者を雇い、標準作業をつくってやってもらったところ、8台つくってもケロリとしていたという話がある。本来はできるはずのことさえ、過去の経験や先入観が、「できない」と思い込ませた典型的な例だ。
20世紀初頭、ベルトコンベアによる大量生産方式を導入して自動車産業に革命をもたらしたヘンリー・フォードは、伝統を廃し、新しいことに挑戦し続けた人物だ。彼は、新しい仕事を始めるとき、その仕事についての先入観がなく、「経験に照らして不可能です」と言わない人に指揮を任せるのがつねだった。たとえば自動車に使う板ガラスは、長年伝統的な手作業でつくられてきたが、フォ ードは大きな帯板の中で連続的に板ガラスをつくれると考えた。ガラスの専門家は 「過去に試みたが、実現は不可能である」と声をそろえて反対した。そこでフォード はガラス工場で働いた経験のない人たちにこの課題を与えたところ、多くの問題や障害はあったものの、みごとに乗り越えて目標を達成した。
フォードは、熟練工の助けが必要なときはもちろん求めるが、決して熟練工に指揮を任せることはなかったという。なぜなら彼らは「できない」ことをあまりに多く知りすぎており、「それはできません」と断定してしまうからである。
これは、日米に置き換えても、言えるとことがあるかもしれない。天皇制に紐解いて日本をみれば皇紀2500年以上、アメリカ合衆国の歴史は南北戦争からの200年だとすると、融通のきかない熟練工や専門家は、多くの「固定観念」や「思い込み」という先入観を持ちやすいのは日本人の骨身にしみついているかもしれず、米国人はそれがないということになるかもしれない。先入観とは、先に知った知識に基づいた、固定的な観念や思い込みのこと。大人になればなるほど、固定観念や思い込みは増えていく。今までの経験から「それはできない」「無理だ」「昔やってみたがダメだった」と、新しいことに挑戦しようとしない。それは、「アンコンシャス・バイアス」と同じだ。
「アンコンシャス・バイアス」とは、「〇〇はこうすべきだ」「男はこうあるべき」等々の無自覚の固定観念や決めつけのこという。
狭い分野しか知らない人、同じ仕事しかしてこなかった人、交友関係が狭い人に多い。多様性というダイバーシティに欠けている人でもある。
先入観や固定観念を壊すには…
●新しい技術を使う(コラボする)
●まったく違う分野の異業種の人と協業する
●違う世代の人と接する
●素人(子ども)のように考える
●多様性(ダイバーシティ)を認める
そして、さらに…
●付き合う人や環境を変えてみる
●様々なジャンルの本を読む
●海外等の異文化に触れる
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