布川(ふかわ)事件は、1967年(昭和42年)に茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件である。犯人として近隣に住む青年2人を逮捕・起訴し、無期懲役が確定したものの、本事件で2009年、再審が開始され、2011年5月24日、水戸地方裁判所土浦支部にて、長い拘束がされて再審無罪までにかかった期間は44年であり、無罪判決が下された事件は戦後に起きた冤罪事件の中で最長である。
このため、9月議会に「再審の改訂を求める意見書」を近隣自治体である我孫子市議会からも国に提出をしてほしいとの請願が出された。海津にいな宛にも、「再審法の改正を求める我孫子市民の会」から書面、活動されてきた経緯などの冊子が送られていた。
当時は、特に証拠は被告人の自白と現場の目撃証言のみで警察の圧力が尋常ではなかったとも言われ、当初から冤罪の可能性が指摘された。日本弁護士連合会が支援し、収監された2人は1996年11月の仮釈放後も無実を訴え、民間人の有志による「布川事件守る会」が2001年12月6日に第二次再審請求(1回目は収監中の1983年12月23日に行われ棄却された)を水戸地裁土浦支部に申立て、同支部は2005年9月21日に再審開始を決定した。
これに対して検察側が東京高裁に即時抗告するが、2008年7月14日、東京高裁(門野博裁判長)は棄却して再審開始決定を支持する。東京高検の鈴木和宏次席検事は「内容を十分検討し、最高検とも協議のうえ適切に対処したい」と述べ、その後、最高裁判所に特別抗告するが、2009年12月15日、最高裁(竹内行夫裁判長)は、検察側の特別抗告を棄却し再審開始が確定。
2010年7月9日に水戸地方裁判所土浦支部にて再審第1回公判が開かれる。以後6度の公判を重ね、判決は2011年3月16日に言い渡しを予定していた。しかし直前に発生した東日本大震災(3月11日)の影響により判決公判が5月24日に延期となった。2011年5月24日、仕切り直しの判決公判が行われ、被告の両名に強盗殺人罪について無罪[14]、別件の窃盗罪や暴行罪について懲役2年・執行猶予3年[15]の判決が言い渡された。なお、別件については猶予期間は既に満了、実質、刑の言渡しの効力を失っている。検察側は「控訴審での新たな立証は困難と判断した」として、強盗殺人罪について6月7日控訴を断念、無罪判決が確定した[16]。再審無罪判決では目撃証言を含む全ての状況証拠について、その能力及び信用性が否定された。
その後、獄中から解放された桜井氏は、冤罪防止のため取り調べの可視化を訴える活動を行った。「可視化を検討する勉強会」を開いて満足するばかりの議員ら多かったが、免田事件の免田栄、足利事件の菅家利和、狭山事件の石川一雄、そして筋弛緩剤点滴事件の守大助(獄中)といった他の冤罪関係者との交流は続けていた。2014年現在において、戦後に無期懲役以上の判決が下った例で、再審無罪判決になった例は6件しかなく、布川事件が7件目(7、8人目)だった。
10日の総務企画常任委員会に請願が付託され、請願者の意見陳述希望(5分制限)があり、その後、紹介議員の説明があり、各議員からの意見徴収、討論の後に全員採択との判断になった。議会最終日に全議員に図られ、多数の賛成があった場合に意見書が国に送られる。
2021年09月10日
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