世界に誇る日本独自のクールな飲食スタイル「回転寿司」は、「元祖廻る元禄寿司」の創業者が発明したのですが、きっかけは飲食店組合の行事で行ったビール工場見学でした。ビール工場のベルトコンベヤーで流れているビール瓶を見て、ふと「こんな感じで寿司が客のところまで運べたら手間がかからないのに」と思ったそうです。行事が終わったあと試作機を作ってみたそうですが、ベルトコンベヤーのコーナーの部分の機構がうまく作れずに頭を抱えました。
しかし、ある日、手にしていた名刺を何気なく扇形に開いたときに「あっ! コーナーをこの形にすればいいのでは?」と気づいたのだそうです。
回転寿司は、「ビール」工場の見学と「名刺」がヒントになって生まれたという、発想の転換にありました。
ネットが普及してから、「ムダな時間、ムダな体験を極力なくしたい」と、まず「効果・効能」を先に考える人が増えています。ある研修会の打ち上げで「この後、僕が知ってる〇〇という店が近くにあるから、 みんなで行こうか」って提案したんです。すると、あろうことか、ある新人が、先輩に向かって手を挙げて「すみません。その店、グルメサイトだと3.0の評価なんですけど大丈夫 ですか?」って言ってきた、それが現代を表している。
効果効能を重視する人は、本を買うときも「役に立つか立たないか」で考えるし、映画を見るときも「感動するかどうか」をネタバレやランキングで考えて本やチケットを購入します。「この音楽、使えるよね」とか、音楽に対して好き嫌いではなく“使える”とか言う人もいます (音楽って使うものになったのでしょうか…)。ネット上の評価である“集合知”に依存している人は意外に多くなっている、自分で探そうとすれば失敗やハズレもあるが、思わぬ拾いものもあるのに、自分で開拓するというプロセスを省略すると、そうした感覚を磨く機会を捨てていることになります。うっかりすると「新たな発見」がなくなります。効果効能があるという前提では、本当に効果効能があるかどうかという「確認作業」になってしまうので、新たな発見がないです。
確かにインターネットは便利で、手早くネットの評判に頼ってしまう気持ちもわかります。でもそれを基本にするなら、「自分の好奇心や嗅覚を育てる機会を放棄している」ことにもなりかねないのです。自分の嗅覚、知人の意見、メディアの評価、ネットの集合知といった「複数のものさし」で物事をとらえるようにしていないと、知らなうちに画一化されてしまう。役に立つかどうかわからないからこそ、自分の感性やセンスが問われてドキドキして、それも感覚を磨く重要な要素だ。その上、何にでも好奇心をもてる人には、まわりから予期せぬ情報がくる。なぜなら、そういう人は「(情報をもらうと)喜び、感謝する」という、喜び上手だからだ。
最新の進化論で言われていることに、「効率を重視しすぎたとき、その種は滅びる」というものがある。普段から役に立たないもの、非効率なもの、ムダなものを持っていることは種の存続にとって重要だということだ。
2021年09月28日
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