2018年シーズンにメジャー入りして3年間、大谷は怪我に泣かされてきた。18年に右肘、19年に左膝を手術し、昨20年も右腕を故障。二刀流を1年間全うすることはできなかった。当然、もう限界。投手あるいは打者に専念すべしとの声が強まったが、それを嗤うがごときの数字である。
大谷はこれまで、どちらかというと感覚に従うタイプの選手でした。2018年に怪我、手術して以来、故障予防、パフォーマンス向上の両立を意識して、科学的なアプローチも取り入れた。それが結果に結びついているのだと思います。それができるのも、優れた身体感覚があり、たゆまぬ鍛錬があるからこそ。
昨オフになって大谷は、ドライブライン・ベースボールという、シアトル郊外にあるトレーニング施設に通いました。ここは科学的なアプローチで知られ、全米、あるいは日本からもたくさんの選手が訪れているという。具体的には何が行われるのか。有名なのは、上半身裸の状態で全身48カ所にセンサーを付けて打撃や投球を行い、その動作をコンピューターに取り込む「動作解析」だ。パソコンを見ると、フォームの修正点などが立ちどころにわかるという。
今季、大谷が投球練習する際、右肘に黒いバンドが装着されているが、これもこうした「科学」の一環。バンドで肘にかかるストレスを計測し、疲労蓄積を防いでいるのだという。
「ここ数年、メジャーにはこうしたデータ化の波が押し寄せています」
と丹羽氏が続ける。
「最新の技術を用いて得られるデータを利用して感覚を補い、パフォーマンスを向上させる。すなわち、デジタルトランスフォーメーション、DX化が進んでいるわけですが、それに大谷も上手く適応していると言えますね」
昨オフから違和感もなくなったようで、下半身の強化にしっかりと取り組めるようになった、と。キャンプインの際、ブルペンで投げている映像を見た時に、はっきりと下半身の厚みが違うな、と感じましたね」
「ボールに力を最大限与えるためには、実は骨盤、体幹といった身体の大きなところから上腕、手といった小さな部位へと動かす必要がある。大谷の場合も自らの動作を解析することで、正しい動きを身に付けることができたのだと思います」
100グラムから2キロまで重さの異なる6種類のボールを投げ、肩や肘に負担のかからない投げ方を身に付けるトレーニングもある。
「トレーニングでも、約225キロの重さでデッドリフトを行っている姿がインスタグラムに公開されています。下半身強化というと、日本では長距離の走り込みを思い浮かべますが、そうではなく、スプリントだと。ジャンプもするそうで、瞬発系のトレーニングに特化していますね。有酸素運動は室内でのエアロバイク。」
加えて、上半身の強化も怠りないのは高校、日本ハム、そして今の写真を見比べれば一目瞭然だ。そんなハードトレーニングが実り、メジャー移籍時に92キロだった体重も102キロに筋力アップに伴い、打球速度も最速192キロとメジャートップレベルになったばかりか、豪快なアッパースイングも可能に。本塁打率が大幅に向上したというわけである。
続いて、「Full-Count」編集部の小谷真弥氏は、「食生活にも非常に気を遣っていますね、昨年のシーズンオフにすぐ血液検査を受け、自分に合う食材、合わない食材を調べたと話していました。それまでは栄養価の高いオムレツを毎朝自分で作って食べていましたが、その検査で卵が合わない食材とわかったようです。」
管理栄養士で公認スポーツ栄養士の橋本玲子氏曰く、グルテンフリーは、テニスのノバク・ジョコビッチが実践して一躍有名になった。小麦や大麦などに含まれるたんぱく質「グルテン」を摂取しない食事法で不調を脱した話である。
「欧米のアスリートを対象にしたある研究では、41%のアスリートがグルテンフリーを実践し、うち81%が効果を感じていると回答しています。欧米は、小麦や大麦などグルテンを多く含む食材がエネルギー源、つまり主食です。一方、日本はグルテンを含まないコメが主食で、グルテンを含む食材は醤油など限られています。グルテンフリーを極端に行うと、エネルギー不足に陥るだけでなく、ビタミンD、ビタミンB12、葉酸、鉄、亜鉛、マグネシウム、カルシウムの摂取量が不足するとの報告もある。ベジタリアンも同様ですが、食べ物を制限するということは、何らかの栄養素の不足に繋がります。とにかく減らせばいいというわけではないのです」(同) つまり、日本は元々“グルテンフリー”なのである。事実、欧米と比べセリアック病患者は少ない。
日本人初のメジャーリーガー・村上雅則氏は、ちょうど前回の東京五輪が開催された1964年から2年間、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした。
「その頃からは想像もできないですよ。私は初めはアメリカに行ければいいや、と修学旅行気分で渡米しましたし、当時は人種差別も根深く残っていてね。どう見てもストライクの球をボールと判定され、抗議をしたら審判に凄い剣幕でまくし立てられたこともある。そんな頃を知っているから、まさか私が生きている間に、日本人がメジャーでホームラン王争いをし、それを全米が称讃するなんて日が来るとは思わなかったですよ」
大谷のここまでの成績については連日ニュースで取り上げられているし、日々更新されるので細かくは述べないが、27歳の誕生日を迎えた7月5日時点で31ホームランはメジャートップ。アジア人記録である松井秀喜の数字にシーズン半分を残して並んでしまった。日本を代表するスラッガー・松井の記録を遥かに超えるのは確実である。
それに加えて、今シーズンもメジャーで唯一の「二刀流」に挑み、投手として3勝1敗と好成績をキープ。球速163キロもマークした。二刀流で投打にこれほどの数字を残すのは、1919年のベーブ・ルース以来。
一言で言えば、同時代の選手という横軸のみならず、過去の名選手という縦軸、その双方において世界で無二の存在となっているのが、大谷翔平である。
MLBブランデル副社長は、メジャーリーグ人気低迷を救った“救世主”だった野茂氏と100年ぶりのリアル二刀流を成し遂げた大谷について語っている。2人の日本人の登場に「(ストライキとパンデミックは)2つの酷い出来事だったね。種類の違う中断だったけどね。そんな時に日本のレジェンドが野球を取り戻す力になってくれたのはアメージングなことだよ」と感謝も口にした。
エンゼルスが日本で試合をする可能性を問われると「是非とも実現させたいね。このスポーツを国際的に発展させる方法を常に考えているんだ。日本はチームを派遣するのに最高の場の1つだ。ショウヘイ・オオタニを日本に帰還させることができたらと思っているよ」と、大きな期待を込めていた。
参照:Full count(7/17)
大谷は、恩師である花巻東高校の佐々木洋監督や日ハムの栗山英樹監督の影響で、読書が趣味のひとつとか。愛読書はスティーブ・ジョブズやイーロン・マスク、渋沢栄一や稲盛和夫など、経営者に関してのものが主。こうした書に触れた経験も、不動の精神を形作ってきたのかもしれない。
栗山氏が翔平選手に初めて会ったのは、彼が高校2年生の春。震災直後の4月で、番組の取材でした。以前から(花巻東高校の先輩である)菊池雄星に「すごい後輩がいる」という話は聞いていましたけど、そのあった時の印象は「すごく頭の良い選手」です。
「キャッチャーの子が津波の被害を受けた、という話を聞きましたが、答えの内容とは別に、論理的な考え方とか、答えるスピードの速さに、それを感じましたね。その翌年に日ハムの監督に就任した栗山氏は、早い段階から「大谷獲得」を主張してきました。会議で当然、彼をどう起用するかという議論になりますよね。僕はどちらでも出来るという確信があったので「誰かがどちらかに決められない選手だ」と言い続けてきました。高校生の段階、身体がまだ出来ていない段階を見ても両方出来ると思った。だから、逆にどちらかを殺してしまうことは出来ない。
ファイターズでは、選手が持っている才能を消さない、邪魔しないことを指導のベースにしています。ものすごい才能を2つ持つのに、どちらかをやめてしまうという選択肢は頭にまったくありませんでしたね。球団内でも二刀流に反対の声はなかった。もちろん外からの批判はありましたけど、一切気にしませんでした。ダメだと言われている点に耳を傾け、その理由を潰せば良い。僕はそれは出来ると思っていました。
ですから「二刀流」は交渉時に我々から提案したもの。翔平はどう思っていたのか? う〜ん、本人に聞いてみないと……。でも、多分本人も「2つ」出来ると思っていたと思いますね。
花巻高校野球部で同級生の皆川さんが、忘れられないのが、二刀流への決意を知ったドラフト前の会話だ。グラウンドで二人きりになった際、皆川さんが「プロではどっちをやるの?」と聞くと「どっちもやりたいんだ。投げないときは野手で出たいし」と返ってきた。「そんな考えは当時なかったですし『すごいことを言うな』と。でも翔平の言葉に気負った感じはなく、それが当然のようだった」。大谷だったら実現するかもしれないと感じた皆川さんは「プロでできたら確かに面白いかもね」と答えたという。
当時から感心していたのが、練習量や時間ではなく、質を追い求める大谷の姿勢。「僕は1000回バットを振ったら、それで『やったぜ』という感じでしたが、翔平は例えば10回目に納得いくスイングができたら、そこでやめていた」。ロングティーの練習でも、他の選手は「どれだけ飛ぶか」と飛距離を求める中、大谷は打球の跳ね方や回転の仕方を気にして振っていたという。
皆川さんも大谷について「とにかく野球が好き」と評する。オフなどに食事をする時、大谷はサプリメントが詰まった大きなバックパックを背負って現れる。食事や会話は楽しみながらも「食前食後、食事中もメニューに合ったサプリを取り、お酒は飲みません」と野球へのいちずな姿勢を証言している。
一方で、その私生活はベールに包まれたままだ。誘惑も数多いはずだが、5年間、彼に決定的な恋愛沙汰が報じられたことは、ゼロだった。
(投手と打者の)2つやるということは、ケアも2倍必要です。練習も2通りやれば、それだけ怪我をするリスクも上がりますよね。二刀流をやる以上は、それだけやらなければいけない。だから、僕はもともとルールは大っ嫌いなんですけど、翔平についてはあえて「制限」をもうけることにしました。具体的には、外出する時には、誰と行くのか、ぜんぶ教えろ、と。
特に北海道は、少し活躍するとすぐにスター扱いされてしまう。つい「ちょっとススキノ行くぞ!」となりがちなんです。でも、遊ぶのは野球をやめてからいくらでも出来ますからね。外出相手を全て僕に報告となれば、みんな誘いにくくなる。僕に誰とどこに行っているか把握されているので、相手も翔平に門限を破らせにくくなるんです。ただ、事前に報告させただけで「行くな」と言ったことは一度もありません。また途中から、自分が行きたいと思ったものは自由に行きなさい、と任せていました。人から誘われるものは全部言え、というのは最後まで変えませんでしたが。
栗山監督の大谷証言でも、翔平は「呑めない」のではなく、酒は強いのかもしれませんが、先輩に誘われた時でも、「呑みですか? 呑みなら行きません」と固辞する。食事には行っても、酒には付いて行かないんです。と言うのは、翔平は毎朝10時にジムに行くことを日課にしている。睡眠時間を逆算すれば、夜遅くまで外に出ている暇はないんです。翔平は呑み会よりトレーニングの方が楽しいんですよ。「呑んでて何が楽しいんすか?」「それだったら練習して野球、かっこよく勝った方がいいじゃないですか」という感じなんです。
16年のクリスマスのこと。広報から「監督、プレゼントで〜す」とLINEが来て、何かと思ったら、翔平がイブの夜にずーっと1人でバッティング練習をやっている画像をこっそり録画していたんです。広報は「監督、これが一番嬉しいプレゼントっすよね〜」と。確かにそうでした。
その大晦日には紅白歌合戦に(審査員として)出たでしょ。この時も、翔平は依頼が来た時、うちの広報に「大晦日の前と後の練習環境を準備してくれるのなら出ますよ」と言ったんです。年末で寮も閉まってしまうのでジムに行けなくなるから。で、うちの広報も頑張って場所を用意したんですよ。彼にはオフっていう発想がないんですよね。そういう日にも上手くなりたいと一生懸命やっている姿が、彼を成り立たせていると思うんですよね。
趣味ですか? 多分ないですよ。彼の生活を見ていると「野球ほど面白いものはない」と思っているように見えますね。このライブだけはとか、このアーティストが好きとか、そんなのは翔平の世界にはないんじゃないでしょうか。ただ、読書は相当していますよ。(花巻東)高校時代の佐々木(洋)監督に言われているみたいです。
この前も翔平に「おい、今読んでいる本出せよ」と言ったら、ちゃんと「良いもの」を読んでいました。トレーニングの本や栄養学の本もそうですが、僕がこの間勧めた『論語と算盤』なんかもしっかり読んでいました。
ご両親の教育を含めて、あのご一家の家族関係というのは素晴らしい。家族の結びつきが人を育てるんだと改めて学ばせてもらいました。直接彼から聞いたわけじゃないけど、お父さんと、5年間は彼女は……みたいな約束をしているみたいですね。
2021年07月17日
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