大谷翔平/投手・打者が、米国アメリカン・リーグで年間MVPの最有力候補となっていて、栄誉が決まった瞬間に、彼からどんな言葉が発せられるのかも注目される。
ベーブ・ルース以来と言われた二刀流での大活躍で、数々の記録を塗りなおし、日本を飛び出し、野球のメッカ米国中の球界ファンの心を鷲掴みにして、コロナ禍に大きな至福をもたらした功績は大きい。それでいて、彼の謙虚な言動は米国人が響き喜んでいた。
振り返れば、今夏に開かれた、オリンピック・パラリンピックの際にアスリートが語る時にも、うなずける言葉が多々あった。
彼らは感謝を語り、更なる努力を誓う
彼らにとって、ちょうどよいと思うまでの最善を尽くし、自身を鼓舞してきたのだろう
恵まれた肢体、恵まれた環境を作り上げてきたのは、最初から必ずしも最初からあったのではないかもしれないが
彼らの中のちょうどよいになるまでには、最高のものを整え、鍛える、最たる努力の積み重ねだったのだろう
大谷選手は探究心について、「タウンワークマガジン2017年10月30日」で次のように語っています。
「どうしてできないんだろうと考えることはあっても、これは無理、絶対にできないといった限界を感じたことは一度もありません。今は難しくても、そのうち乗り越えられる、もっともっと良くなるという確信がありましたし、そのための練習は楽しかったです」
この情報化社会では、20世紀には重宝された「何でも知っている知識人」は明らかに時代遅れであり、もはやその価値は失われつつあります。「広く、浅く」から「狭く、深く」が、これからの時代のトレンドになることは間違いありません。
「あなたは、今まであなたが発してきた言葉でできている」、と言われる。
我々は、今まで使ってきた言葉の通りの人生を歩いている、ということだ。
『一流たちの金言 2』で、2500名の看取りされた方が感じることは、2つに集約されるような気がして仕方がないという。
その二つとは、やはり前向きな人生ということ、それから周りに感謝できるということ。
物事には必ずプラスとマイナスがあるが、 物事のプラス面をしっかり見た生き方をしてこられた方々。
そういう方々の生は、やっぱり前向きでよき生なんだろうと思うんです。
それから、 感謝 というのはとても重要なキーワードだと思うんです。
家族に対して、周りの人たちに対して、最後に「ありがとう」と言いながら、そして自分も相手から「ありがとう」と言ってもらいながら生を全うできるのも、よき生だと思うんです。
そういう生を全うする人を、 私は人生の実力者と呼んでいるのです。
『致知』(2008年1月号致知出版社)
お釈迦さまの、こんな言葉がある。
すべてがあなたにちょうどいい。
今のあなたに今の夫がちょうどいい。
今のあなたに今の妻がちょうどいい。
今のあなたに今の子供がちょうどいい。
今のあなたに今の親がちょうどいい。
今のあなたに今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに今の友人がちょうどいい。
今のあなたに今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。
すべてがあなたにちょうどいい。
だからこそ、お釈迦さまのいう通り、すべてが今のあなたにちょうどいい。
それが、「生きてきたように死んでいく」ということ。投げかけたものが返ってきます。優しさを投げかけると優しさが。笑顔を投げかけると笑顔が。(小林正観)
お釈迦さまは、それを「因果応報」という言葉を使って説明しました。
宇宙の法則のひとつです。宇宙の大法則は「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返らない。愛すれば愛される、愛さなければ愛されない。嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない。」
小林正観さんは『振り返ってみると、私は「先生(教師)」に恵まれていました。
学生時代一度もどなったり、怒ったり、高圧的だったり、感情的であったり、という方はおられませんでした。
「荒れた学校」のことを聞くことがありますが、もしかすると、その学校には、「おい」「おまえ」という言葉が飛び交ってきたのかもしれません。
国際神道学会の会長で、中央大学の中西旭先生は、中西先生は「丁寧な言葉」以上に、「美しい言葉」をお使いになる方でした。
「敬語」の使い方が素敵なのです。年下の教え子に対し、普通に何事もなく敬語を使って接しておられました。
「敬語をさりげなく使いこなせる人は、かっこいい」の見本でした。
神様は上に行けば行くほど、腰が低くなります。いばったり、偉そうにすることは絶対にありません。
ときには人間に対して、土下座さえもします。ほんとうにすごい神様は、とても腰が低いのです。
「言葉を大事にする」ということの中に、「敬語」というものもあります。
会話の部分で丁寧な言い方をする。
そういう日々を続けていると、荒っぽい言葉を浴びせられることがなくなります。
『幸も不幸もないんですよ』(マキノ出版)
『正観さんのしあわせ絵言葉』(廣済堂出版)
夫婦で経営している、とても繁盛している飲食店があった。
その店では、ご主人が奥さんのことを名前で呼んでいて(たとえばケイコさんのように)、「〇〇さん、〇〇お願いします」と、とても丁寧だった。反対に、別の夫婦で経営している中華のお店では「早くやれって言ってんだろ、このグズ」のように奥さんのことを罵っていた。
いたたまれなくなって、早々にお店を出たのを覚えている。
自分の発する言葉は、まわりの人がちゃんと聞いている。特に小さなお店ではなおさらのことだ。
そして、その発する言葉で、その人のひととなりがすぐに分かってしまう。
家庭内(親子や夫婦間)で、「おはようございます」「おやすみなさい」「行ってきます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」「ハイ」という丁寧なあいさつを交わしている家は円満だ、という話を読んだことがある。
親しくなればなるほど、丁寧な言葉は大切だ。
『斎藤一人 令和編 一日一語』ぴあ
斎藤一人は、起こったことすべてを「トクだ」って思っている。中卒なのも、英語ができないのも「トクだ」と思ってる。
それを「天国言葉」といい、何回でも言うといいと言う。
もっとも、すぐ「とくになる」かは、心の中に間違った考えや悪いものがたまっている人は、時間がかかる。
《心の中に間違った考えや悪い思いがある人は、 浄化するのに忍耐が必要なんだよ。》
例えばね、コップの中に泥水がたまっているとする。そこに、キレイな水を少しずつでも入れると、すぐにはキレイにならないけど、いずれはキレイな水で満たされるようになる。それと同じで、人の心もすぐにはキレイになれないよ。
でも、キレイな言葉を話したり、人に親切にしたり、いいことを積み重ねていけば、いずれは浄化される時が来る。
少しずつ、キレイな心になっていけば、いいんだよ。
◆天国言葉とは…
●愛しています
●ついてる
●嬉しい
●楽しい
●感謝してます
●幸せ
●ありがとう
●ゆるします
◆地獄言葉とは…
●ついてない
●不平不満
●グチ、泣き言
●悪口、文句
●心配ごと
●ゆるせない
「思うは招く」という言葉がある。思っていることは、現実を引き寄せるということだ。
「トク」だと思えば「トク」になり、「損」だと思えば「損」になる。
「ついてる」と思えば「運もついてくる」、「ついてない」と思えば「運も落ちる」。
すべての思いは、現実を招く。
起こったことすべてを「トクだ」と思うほうが得なのだ。
2021年11月17日
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