スウェーデンは日本同様に、王室(皇室)がある立憲君主制の民主主義国家である。スウェ―デン王室はノーベル賞を授与することで知られるが、二女のマデレーン王女は、フロリダに住んでいて、「アメリカでは、学校が閉鎖されたために家庭で暴力を受ける子供達のセイフティーネットが無くなった。今年は例年よりずっと多くの子供たちが犠牲になっているだろうことを考えると、そのことを考えたくない」と話しているが、母国に戻り王室行事に参列することもされる。
国民に寄り添うスウェーデン王室の二番目の子であるカール・フィリップ王子の妻ソフィア妃は、第一波で、スカンジナビア航空で休職となった客室乗務員を医療従事者として教育するコースを受講し、ストックホルム市内の病院で、食事配膳やベッドメーキングなどの業務に従事したが、その様子が紹介されるなど、心の琴線に触れるメッセージビデオとなり国民にも好感される内容だった。それでも海外ではスエ―デンの集団免疫政策の失敗ではとの注目ばかりがされている。
スウェーデンでは、特に「国民の人権」を守ることは非常に重要視されている。
国が強権を発動し、国民の行動に制限を加えるなどの「人権侵害に当たるとも考えられる政策を選択すること」に対するハードルが非常に高いと言える。ロックダウンをしていない理由も、憲法によりロックダウンができないことが理由の一つであった。秋に介護施設への訪問が禁止になった時も、その後裁判所が、「訪問禁止は人権侵害であり違憲である」との判断を示した。高齢者が家族に会う権利を保護したものだ。今後、政府が強い規制を実行できるために、「パンデミック特別法」の制定が議論されているが、その第一案は、外部の審査委員会が、「国民の人権侵害に関する懸念」を理由に差し戻しとなった。
12月28日の記者会見で、2021年1月10日から9月末日までの「期限付きのパンデミック特別法」が提出されたと発表があり、これが可決されれば、政府がショッピングセンターや店舗などを強制的に閉鎖できるようになる。レストランなど飲食店についても同様の効力を持ち、違反者には最大4000クローネの罰金が課される。また、閉鎖や営業時間短縮に伴い補償も行うが、この特別法が成立すれば、これまで規制の殆どが推奨であり強制ではなかったスウェーデンでは新たな動きと言える。
さらに、イギリスや南アフリカで変異種が発生していることを受けて、変異種の流行している地域からの入国制限も始めた。1月5日現在、国内で確認された変異種の感染者は13名。1名をのぞき、全てイギリスからの帰国者である。
スウェーデンにおける国民個人個人を対象とした規制は、「推奨」であり、国は国民を信じて「強制」をせずにここまできた。これまで、マスク着用推奨がなされず、今後も「状況限定での推奨」であり「強制」とならないのも、人権侵害を回避する理念がベースにある。
マスク着用の効果を否定するものではないが、マスク着用よりも、ソーシャル・ディスタンスを取ることの方にエビデンスがあることは確かであり、したがって、ユニバーサルマスキングとして「国民全てにマスクをすることを強制することはできない」という公衆衛生庁の姿勢は、第一波から変わっていない。マスクをして安心しソーシャル・ディスタンスを取らなくなったら本末転倒、また、貧困者にとって正しくマスクを使用することは経済的に負担であり、不平等な政策であると考えられることなどが公衆衛生庁から繰り返し説明されてきた。
国民の動揺はあまり見られないが、逆に、第一波ほどの緊張感がないのが問題だ。第一波の経験により、ノンリスクグループにはあまり怖くないウイルスだという認識が広まったため、ノンリスクグループは全く自粛をせず、中には、クリスマスや新年の休暇には心置きなくイベントを楽しめるよう、休暇前に積極的に感染を済ませておきたいと考えた若者もおり、若い世代を中心に感染が拡大している。
ICUでは早期の挿管を避け、治療期間も第一波の半分となったことは特筆すべきことである。日本人と比べ欧米人は血栓を形成しやすいため、入院と同時に低分子ヘパリン治療を始め、炎症反応が増悪傾向にある患者にはステロイド内服をさせ、細菌性感染の合併が疑われる場合は抗生剤を併用するのが標準治療である。重症化が懸念される患者には抗ウイルス剤を投与する場合もある。
第一波と同様、現在、通常診療はかなり縮小されている。宮川医師が所属する外科部門では、手術室から麻酔科医、麻酔科専門看護師がICU診療へ配置換えとなったため、待機手術の件数はおよそ通常時の3分の1となっている。待つことのできない癌の手術や、他の病院ではできない高難度の手術などに優先順位をつけて待機手術の件数を絞っている。同時に、緊急手術は通常通りであるため、医療資源はギリギリの状態である。夫君がスウェーデン人であり、義父は手術が受けられれば助かったはずが、このコロナ禍の事情で施術されず亡くなっている。
第一波よりも厳しい状況と言える点は、第一波により既に通常診療に遅延が出ているため、これ以上の遅延はできる限り出したくないこと、また、第一波でICU診療に携わったスタッフの疲弊が激しく、第一波と同じレベルまでICUのベッド数を増やせないことなどが挙げられる。
出典:Forbes Japan(2021/1/7)二女のマデレーン王女は世界の王室のなかでも美貌で知られ、ファッション雑誌『ELLE』(スウェーデンエディション)の2010年1月版のカヴァーモデルになった程で人気が高い。2012年10月25日、ニューヨーク在住で投資銀行勤務のイギリス人クリストファー・オニールとの婚約、2013年6月8日にスウェーデンのストックホルム宮殿のチャペルで結婚。カトリック信徒であるオニールとの結婚で、イギリスのヴィクトリア女王の三男コノート公アーサーの子孫であるため保持していたイギリス王位継承権を一時喪失となっている。ニューヨークで第1子、第2子を出産。2018年3月9日、ダンデリード病院で第3子出産。なお、2019年10月7日付けでマデレーン王女の子供たちは、王女・王子の称号や爵位は保持しながらも、「殿下」の称号や国費を受け取る王族の身分からは外れている。姉に王位継承者と定められているヴィクトリア皇太子、兄にカール・フィリップ王子がいる。
長女のヴィクトリア皇太子としての公的活動を始めて間もない1996年頃から食欲不振に悩まされるようになり、翌1997年4月に痩せこけた皇太子の姿がマスコミで報道されたことにより、予定されていたウプサラ大学への入学が取り止めになった。同年11月に王室が皇太子が拒食症を患っていることを正式に認め、翌1998年に治療を兼ね、イェール大学留学でアメリカへ渡ることとなった。1999年6月のテレビ番組のインタビューにおいて、同病を克服したことを表明し、以来この病気の予防や対策に携わる活動にも熱心に取り組んでいる。なお、ヴィクトリアは、この拒食症の結果、落ちた筋肉を取り戻すためにスウェーデン帰国後にスポーツジムに通うことになる。婚約するまでの交際をした男性もいたが、ジムのトレーナーが現在の夫ダニエル・ベストリングであり、2010年6月19日にストックホルム大聖堂にて挙式が行われた。日本からは皇太子徳仁親王が出席している。
2011年8月18日、第1子懐妊。生まれる子は男女を問わず、スウェーデン王位継承権第2位となる。2012年2月23日早朝、ストックホルム郊外のカロリンスカ病院で長女となるエステル王女を出産している。2016年3月2日、長男となるオスカル王子を出産した。
また、グスタフ国王がディスレクシアだったこと、皇太子が軽度のディスレクシアを持っていることをシルヴィア王妃がテレビ番組で公表している。王妃はミュンヘン五輪コンパニオンをつとめたのがきっかけで知り合い交際、1976年結婚。シルヴィア王妃が外国人の一般人だったこと、王子よりも2歳年上だったこと、母はブラジル人、父はドイツ人ビジネスマンであった。スウェーデンの王室や国民に受け入れられなかったのかというと、ナチス党員だったこともあって拒否反応はあったが、何事にも屈しない素質は徐々に受け入れられ、気さくで明るい人柄で次第に人気を高めた。手話も会得している。
王妃となる以前のシルヴィアは、幼少期に10年間サンパウロで過ごし、その後、ドイツにあるデュッセルドルフ市の高校を卒業した後、スペイン語通訳を学び、その他にドイツ語、ポルトガル語、英語、フランス語、スウェーデン語も流暢に話せるため、それを活かして通訳や国際的なイベントでコンパニオンとして活躍してた。スウェーデン王子としてミュンヘン五輪の開会式に参席していたグスタフが、美貌のシルヴィアに一目惚れしたともいわれる。婚約当時は、インスブルック五輪のコンパニオンであったことも話題になった。
フィリップ王子の妃・ソフィアの父はデンマーク系スウェーデン人。ニューヨークで学び、帰国後、ウェイトレスとモデルをしながらストックホルムで勉強した。ラスベガス滞在中に、アメリカ合衆国のポルノスターのジェナ・ジェイムソンと関係を持ったとニュースになったほか、イギリスの『デイリー・テレグラフ』は、ソフィアのセミヌードモデルとリアリティ番組出演という経歴のため、「王室が反対している」といった風な論調でニュースにしたこともあった。
ヴィクトリア皇太子自身は2017年現在で、ノルウェー王女イングリッド・アレクサンドラ、デンマーク王子クリスチャン、ベルギー王女エレオノール、オランダ王女カタリナ=アマリア、ギリシャ王子コンスタンティノス・アレクシオスの宗教上代母となっている。ヨーロッパの王室には純血な王統は存在していないので、各王室の継承権に絡んで維持している。
ソロモン王とシバの女王の時代から続く国と見た場合、エチオピアは連続した歴史を持つ世界最古の国ということができ、日本よりも古い王室があったといわれた訳だったが、クーデターにより王室は滅んでいる、欧州に目をやると、多くは名前や領土の変遷を幾度か重ねて今日に至っており、ローマ帝国が東西に分かれてフランク王国ができ、同じように東西に分かれてフランス・神聖ローマ帝国になったとか、神聖ローマ帝国はその後さらに分かれ、幾つかの公国が統合したり分裂したり、ロマノフ王朝の一家はコサックに捉えられて銃殺、オーストリーから嫁いでフランス王妃になったマリーアントワネットはギロチン処刑、ドイツはプロイセンなどと公国が幾つもあり、統一されても大戦後に東西に分断・・・・。
それだけ国家、王国が存続するのは難しいということであり、ほぼ同じ場所・同じ名前で続いてきた国が日本と、日本よりも長い歴史を持つエチオピアと考えられ、その時代から続く国と見た場合、エチオピアは連続した歴史を持つ世界最古の国ということになり、日本の皇室は世界最古の王室と言えるのは、知る人ぞ知るです。今後、日本人だけで国家を維持したり、まして皇室、天皇制が維持できるとなると、海外の王室事情も参考にしなければならないのではないか。
2021年04月18日
この記事へのコメント
コメントを書く