年子の5人姉弟の次女で、兄・姉・弟・妹が居ました。4歳だった1975年に家族は7人でブローカの用意した小舟に乗って日本海を渡って密入国し、日本で最も在日韓国人が多い大阪市生野区や阿倍野区で育ちました。 大阪下町の父親が働いていた雪駄工場の倉庫だったボロ長屋の2階に家族7人ですし詰め状態で住んでいてとても貧しかったので、主食はすいとん汁でおやつは近所の青果市場のゴミ捨て場から拾ってきた果物でした。 頂き物のスイカは食べたあとの種も残さず、砂糖をまぶしておやつとして食べていました。暖房設備も無く風の入る長屋のため、冬は眠れないほど寒いため新聞紙にくるまって寝ていました。両親ときょうだいを合わせた7人で生活していたスペースは、わずか4畳一間。小学生時代から7年間も朝の新聞配達をしていたということです。アンミカさんは子供の頃に兄弟と喧嘩して鼻の骨が折れた時は、病院に行くお金がなかったため割り箸を突っ込まれて折れた鼻骨を元に戻されたそうです。歯医者などにも行くお金は無いため、前歯が出っ歯気味だったアンミカさんは手で押して矯正していたなど、貧乏にまつわる壮絶エピソードばかりでした。
こうして、日本で貧しいながらも努力をいとわずに暮らす外国人ではありましたが、1990年(平成2年)大阪府立住吉高等学校を卒業。卒業式には、一人だけ朝鮮民族の誇りである民族衣装チョゴリを着て出席した、民族の誇りも忘れず、また、日本で暮らす事への親愛の情も巧く表現して、嫌みがありません。逢坂弁が混じる所や世界で活躍してきた自信が上手くミックスして、大阪の一つの顔となって観光大使にまで選ばれていました。資格試験にも熱心で、珠算初段、漢字検定2級、毛筆書写検定2級、硬筆書写3級、秘書検定3級、マスコミ校正、英検3級、韓国語検定4級(韓国では数字が高いほどレベルが高い)。その他、N.A.R.D.(フランス、ベルギー式医療系)アロマテラピーアドバイザー、コスメコンシェルジュ、日本化粧品検定1級、漢方養成指導士中級、美容アドバイザーなど等と資格マニアです。一方で、パリコレクションなどでの経験を基に、肩甲骨を締める運動で褐色脂肪細胞の燃焼効率を高める「肩甲骨ダイエット」を提唱するなど、興味関心は多彩です。
彼女の活動の本拠地となっている大阪では、日本の政界にも一石を投じる動きがあり、時代を変わろうとする発信源になっています。
そろそろ、我孫子でもグローバルな視点、女性が風を起こす、そんな状況を作り出していかないと時代に遅れるのではないでしょうか。
変える選択、時代の風をつかむ、そんな事も必要だと海津にいなは考えますが、皆さまはいかがでしょうか。
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