その最たる例が、小室圭さんが4月8日に公表した文章へのほぼ批判ばかりな事です。
万難を排するため、米国留学を決行し、法律を学ぶほどの克己心、功名心を持っている小室さんが文書で書いていましたが、名誉を傷つけられたという恥辱の念と、バッシングを続ける世間に対して反論して、自らの主張を明確にしたいとの気持ちが相当に強くなったのだと思います。そうした感情をも書き入れ、この時にと起死回生を狙った結果が長文になった気がします。起死回生の論証をするという課題を手短には済ませられなかったのでしょうし、論文を書く生活に専心していた数年の習慣がそれをさせたというのも、海津にいなもまがりなりに論文執筆の経験があるので、心情は分かります。
報道されたものは本文よりも注釈が多いと言われて、アメリカ流だなどと見る向きもあるようです。一方で、本来の脚注の使い方は情報ソースや参考情報を参照させるためのものであって、今回の長文は言いたいことを整理もせずに場当たり的に全て入れて、文章のつながりが悪い部分を注釈に落としていった結果だとの学会の論文指摘のような情報もありました。大切な事を読んで理解してもらう局面である以上、伝わりやすいように一本の筋を通さないといけませんが、論文を読みなれない社会一般に対して、どのように受け取られるかを公開されることを念頭においてアドバイスしてくれる人はいなかったのでしょう。注釈をつけることで、自分の主張や思いを取捨選択することなく、推敲も不十分だったと、論理矛盾が目立つと、まずは非難を多くしてしまいました。言わなければいけない点を注釈に組み入れ、結果的に一貫性がないと思われる損をしたのです。最初から最後まで、これまでも含めて、あったこと全て包み隠さずさらけ出して、小室さんなりの誠意で人生を賭けて言い切ろうとしたのが、却って突っ込まれやすくした戦略ミスとなり、論客のネタにされてけして良くない方向になってしまった感です。
母上の婚約者であった方も、後に理不尽に婚約解消を申し入れたにせよ、お二人の婚約会見などが目にするまでは、母上への贈与のつもりもあって、返済を求める質のお金ではなかったにせよ、現実は眞子内親王との婚約が発表されてから、なんらか思うところがあった時点で、その額に見合う程度の解決金なりにして戻す事になってきたようです。
長谷川裕雅弁護士の解説によれば、解決金は、その名の通り解決のためのお金なので、それがどのような性質のお金なのかは問われない。もし、それによって和解をした場合、たいていは秘密保持条項で、和解の内容を第三者に漏らさない約束事がされ、内容はもちろん、贈与か貸付か・お金はいくら払ったのかなど、当事者は一切口外しなくなる、それが解決への方向の早道。もしくは、裁判にしていれば、マスコミにコメントを求められても『係争中のためお話できません』という一言で済む。争いごとを法廷に持ち込みたくないのであれば、解決金を渡す方法があった。過去に、金銭の授受があった事実が、それを差し戻す額を出さずに、主張をし続けたことで事態が長期化した、と見ています。ここまで悪化した原因の1つとして、代理人弁護士などが情報をマスコミに話しすぎたことで、情報が錯綜したように見えるのだそうです。
天皇の皇位継承権を持つ唯一の男子の姉君、上皇夫妻の初孫と敬愛されてきた姫君という唯一無二のお立場であることが、お二人の純愛を阻んでいます。英王室では、女王のすべての王子、王女が離婚、または不倫、性的な疑惑がリークされ、皇太子に至っては長きに渡り不倫をしていて、20歳で皇太子妃になった方の後半生を苦しめ、お子様たちの人生にも悲しい影がさし、にもかかわらず、英国民はエリザベスII世女王が誠祥される姿に、現皇太子妃が既婚の不倫相手でありながら、再婚されたことを暖かく受け入れているのは、彼の国の王室のようには私有財産を保有できない日本の皇族方が、すべて税金のみの生活費支給になっている、今さらの敗戦国であった恨みがここにきて国民の税金の無駄遣いなのだとばかり、言われるのだろうか。
『Anastasia』(邦題:『追想』)はロマノフ朝最後の皇女アナスターシャの生き残り説から生まれた、200人もの女性たちの一種の天一坊物語のような噂噺から発した諸説、小説、映画などが生まれた作品の一つである。皇帝のみならず、幼い子供たちも射殺したことで世の中の批判を恐れたポルシェヴィキ政権は「ニコライ二世のみが処刑されたが、家族は安全な場所にいる」と発表しましたため、ニコライ2世の第4皇女アナスタシアがロシア革命後も生きているとの伝説が生まれた。
映画では、ヒロインをイングリット・バーグマンが演じ、架空のパヴロヴィッチ・ボーニン将軍役をユル・ブリンナーが演じ、父方の祖母であるマリア皇太后役が本人であると確信して発表する直前に、二人は恋心を抱き合っていたと認め、かつてからの言い名付けであった王子との婚約発表の前に、記者会見会場から遁走、二人の幸せが予感されるハーピーエンディングのハリウッド映画で、アカデミー賞を得た。
物語は、セーヌ川に身を投げて自殺しようとしていた若い女性を助けたことから始まる。そこで記憶喪失の女性コレフをボーニン将軍ら4人はアナスタシアに仕立ててマリア皇太后を騙すことで、ニコライ2世がアナスタシアのためにイングランド銀行に預けていた多額の信託金を獲得しようと企むという伏線があり、彼女と対面したマリア皇太后は妙な咳から本物のアナスタシアであることに気付き、彼女の本当の幸せは皇女と認められて、遺産目当てでいる皇太后の甥の王子・ポール大公との結婚で、宮廷生活をする事ではないと諭して、祖母である皇太后の孫娘への愛情を示してイイ話に仕立てたのだった。
ここで、王子ポールが生活費も面倒をみて貰っていたので、なるほど実際にロマノフ朝とも縁続きの故エディンバラ公フィリプ殿下も亡命王子として、救出されて財産がなかったことからすると、王族、皇族と言えども、体面を保ちながら生活を維持するのには、相続財産がないなどは生存権も危うい、ゆゆしき問題になる。
エリザベス女王の妹マーガレット王女、タウンゼント大佐との恋があり、離婚歴があり16歳も年上の大佐と結婚するならば王位継承権はおろか王族としての年金受給権も剥奪すると告げられ、英国国教会としても結婚を認めない、と告げられた。周囲の人間全てを敵に回したような状況で、母のエリザベス王太后すら冷淡な態度を取り、マーガレット王女に同情的だったのはその恋の始まりから知っていた姉のエリザベス女王だけであった。その結婚を断念し、写真家と結婚するも夫の度重なる不倫、不和から離婚。英王室にとって初めて離婚した王族となり、女王の3人の子供たち――チャールズ皇太子、アン王女、そしてアンドリュー王子――へ道を開いた。
アンドリュー王子と結婚したサラは不倫現場をスクープされて離婚。ニューヨークに移り、ダイエットに苦しんだ経験からダイエット本や商品にかかわったり、児童福祉のボランティア団体のスポークスウーマンとして活動している。現在は、経済的にもイギリス王室から自立しているとしていたが、2010年5月、イギリスのタブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」に、アンドルー王子に会わせるとして多額の紹介料を要求していた疑惑が報じられ、その事実を認めた上で「経済的に問題を抱えていた」と釈明した。アンドリュー王子は離婚後はニューヨークに移り、ダイエットに苦しんだ経験からダイエット本や商品にかかわったり、児童福祉のボランティア団体のスポークスウーマンとして活動している。現在は、経済的にもイギリス王室から自立しているとしていた。しかし2010年5月、イギリスのタブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」に、同元妃が離婚したアンドルー王子に会わせるとして多額の紹介料を要求していた疑惑が報じられた。元妃の代理人はメディアの取材に対して、その事実を認めた上で、「非常に申し訳ないことをした」「経済的に問題を抱えていた」と釈明した。アンドリュー王子は、児童買春スキャンダルによって公的な立場を退いた。セーラ元妃とアンドリュー王子には二人の王女があり、王位継承権を持つ。
4番目のエドワード王子夫妻だけが、結婚を継続している。妃の実夫はタイヤのセールスマン、母はアイルランド系で夫の秘書をしていた家系で、妃は結婚後もメディア業界で働いていたが、近年は王室の公務に専従している。男女二人の子どもがおり、王子、王女の継承は固辞したとされる。
エドワード8世は、王位に就きながら既婚者の米国人女性と王冠を賭ける恋と騒がれ、爵位と得て在任期間わずか325日で退位し国外で十分な資産を保ちながら暮らした。こうした悲恋、不倫の果てに、英王室の結婚条件も緩和されていった。フランス政府から所得税を免除され、パリ市から提供された住宅に住むといった、悠々自適の生活を過ごし、王室一員としての責任も持たない好き勝手で贅沢な活動を続け、イギリス王室との不和な状態であり、王室はウォリスを決して「ウィンザー公夫人」として受け入れようとはしなかった。1952年に王位を継いだ弟のジョージ6世の死去の際などへの参列では夫人を伴わず単身で参列した。その後、エリザベス女王の配慮によりウオリスとの関係回復が図られた。ウインザー公夫妻がパリに所有していたヴィラ・ウィンザーは、百貨店ハロッズのオーナのアルファイドが購入。残ったお金はパスツール研究所に寄付された。建物は、息子ドディ・アルファイドと元英皇太子妃が事故死した後の1998年に売りに出され、売り上げは慈善団体に寄付された。
眞子さまの時代に英国王室の一世代前のような結婚問題が起きてしまっているのは、致し方ないのではないか。何があっても英王室の一因として暮らせるように配慮する財産制度を皇室典範に盛り込む憲法改正をしなければ、実は天皇制は維持できないのではないのではないのだろうか。映画「追想」を見て、高貴な生活を維持して暮らすなど、意識と経済力が高くなくては出来ることではないと思った。
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