ジョン・レノンの生誕81周年にオノ・ヨーコとポール・マッカートニーが言葉を寄せている。ジョンとヨーコの息子ショーン・レノンの46歳の誕生日でもある9日、ジョン・レノンの生誕81周年に妻・オノ・ヨーコと親友・ポール・マッカートニーが言葉を寄せている。
1980年12月、ニューヨークのアパート、ダコタ・ハウスの外でマーク・チャップマンによって射殺されたジョン、40歳の誕生日だった。その悲劇的な死に関して、ポールは未だに話をするのが困難だと以前明かしていた。「それについては、考えられないでいる。内側で破裂してしまうんだ。怒りと悲しみ以外何を考えられると思う?」「他のどんな死別とも同じで、ただ一つの逃げ道は、ジョンと一緒だったのがどんなに良かったかを思い出す事だよ」「だって、この無分別な行為を乗り越えることなんてできないからね。考えられないんだ。一種の否定だと思う。でも否定こそ僕がこれと向き合える唯一の方法なんだ」といっている。ポールは、9日に2人でギターとベースをヴァイオリンのように抱える写真と共に、「誕生日おめでとう。ジョンを思いつつ。ポール」と綴った。
ジョンはビートルズの中でも社会批判を多くして、物議を醸すことが多かった。「ビートルズはイエス・キリストより、有名だ」と言って米国の若いファンに悪い影響を与えるとキリスト教団体やPTAから公演中止の声が高まって公演中止になりそうになったこともある。ヨーコと親しくなってからは、「毛沢東や専制政治は嫌いだ、平和への革命を起こそう」とのメッセージを歌詞に盛り込んだり、そのメッセージ性が強まった。解散後、米国の市民権を取得しようと試みて、政府批判が多いという理由でなかなか受け入れられずにいたが、それが叶い二人のアルバムが発売されると同時に、狂人的なファンによって射殺された。中には、ベトナム戦争反対に影響力のある発言をしていたジョンを暗殺説も憶測されたが、犯人の動機は解明されず、熱狂的ファンの不当行為だとされた。
ヨーコは、当時に電話など盗聴されていたと明言し、ショーンの命を守るために社会批判の発言を控えるようになった。ジョンとヨーコの息子ショーン・レノンの46歳の誕生日でもある9日、ジョンがショーンを抱きケーキのロウソクを消す写真を投稿、「誕生日おめでとうジョン!誕生日おめでとうショーン!あなたたちを愛している!ヨーコ」と、そしてジョンの公式アカウントには新聞の置かれたベッドにヨーコと赤ちゃんのショーンと座る写真が投稿され、夫と息子2人の誕生日を祝う言葉が添えたのは、未亡人・ヨーコの気持ちの反映だ。ヨーコは、ジョンに和の心を教え、ジョンは「ヨーコは、妻であり、先生であり、親友、同志だ」と言っていた。
ボブ・ディランの歌詞作り影響を受けたというジョンだが、今やヨーコとの結婚後につくった「イマジン」はボブ・ディラン以上に知られ、世界各地で平和を願う際、世界は一つになれる、夢ではない・・・とのメッセージが歌われてる。ノーベル文学賞がディランに与えられたのなら、共同作詞者のヨーコに平和賞を与えてもいいのではないか、とさえ思うくらい影響力がある。
参照:デイリー(10/12)
【関連する記事】