2021年05月16日
105歳最高の演奏、杵屋響泉
長唄宗家の家系の五代目勘五郎(写真3)は明治時代を代表する長唄の名人。歌舞伎座や関西公演にも出演していた。終始三味線の新しい手(フレーズ)を考えている人で、即興的な創作を含めて300曲以上つくった。当時は譜面がなかったが、口伝えで現存するのは数十曲にのぼる。その作曲はドラマチックで程よい長さにまとめられ、序破急(じょはきゅう)(曲の構成)がはっきりしている。
「芸人は信心する心を持たなければいけない」と言い、「日本一の三味線弾きになりますように」と願って、成田山で水垢離(みずごり)(水行)をしていた。舞台に上がるときには、懐に特注の小さなお不動様を入れて臨んだという。その言いつけから、響泉さんは東京の飛不動尊へのお参りを欠かさない。
「4つの時に父の三味線に合わせて『宵は待ち』を唄ったのが最初」だそうだ。娘を大変に可愛がったという五代目勘五郎は、大正6(1917)年に44歳の若さで亡くなる。同じ長唄の師匠であった母杵屋栄子さんは、東京で初めてできた女流演奏会「玉蘭会」のメンバーだった。
2019年、ソニー・ミュージックダイレクトから初のCD「一〇五 娘がつなぐ五世勘五郎の長唄世界」が発売。後進の育成に励み九十余年、現在は娘・六響とともに「響泉会」「響の会」を主催。長唄協会定期演奏会、長唄普及活動、NHKラジオなど出演。
長唄は、18世紀以降に歌舞伎音楽として特に江戸で発達し、その後、劇場から離れた純粋の音楽としても展開をみせた三味線音楽です。その表現は、地歌をはじめとして、義太夫節(ぎだゆうぶし)、大薩摩節(おおざつまぶし)、豊後節(ぶんごぶし)などの諸浄瑠璃その他の要素を取り入れ、高度な技法を用いた豊富な内容を有しています。数ある三味線音楽の中でも、歌い物を代表する音楽として、我が国の音楽史上において重要であるばかりでなく、黒御簾(くろみす)音楽を担当するなど、歌舞伎の上演にも不可欠なものです。
長唄は、唄・三味線・鳴物(囃子)(なりもの(はやし))から構成されますが、その演奏は数十人に及ぶ多人数の合奏から、二挺一枚(にちょういちまい)※といった小規模のものまで多様な形態があります。他の三味線音楽と比べてリズムが明確であり、細棹(ほそざお)三味線による明るい旋律、鳴物による華やかな器楽演奏などに特色があります。また,代々の演奏家が各時代に合わせた作曲や演奏上の工夫を重ね、音楽的に多彩な内容を持っています。
※二挺一枚 唄一人三味線二人で構成される長唄の演奏形式のこと。
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