すべての行程をランナーが走ってリレーするわけではなく(もちろん動物やロボットによってでもなく)、自治体ごとにランナーがある程度の距離を走っては、聖火をランタンに移して車などで次の自治体に進む。
初日。出発式典の会場となったJヴィレッジで第1走者の「なでしこジャパン」や被災地の高校生らがつないだ聖火は、スタートのわずか10分後、Jヴィレッジの会場を出るとすぐにランタンに移され、5分後の午前9時55分には、4.5kmほど離れた第2区間「楢葉町」の最初の走者のトーチにランタンから聖火がともされ、再び走り出す。
ランナーが走る距離は、5人合わせて1kmちょっと。13分で記念撮影スポットに到着し、ここで再びトーチからランタンに聖火を移して、7kmあまり離れた第3区間「広野町」のスタート地点に移動する計画だ。第4区間では、第3区間のゴール地点、JR広野駅に聖火が到着したわずか7分後に、直線でおよそ22km、高速道路を利用しても車で40分ほどかかる川内村で聖火リレーが始まることになっていた。
ん?聖火はあらかじめいくつかに分けられているのか?」
聖火はいくつかの予備のランタンに分けていて、複数存在している。「聖火は1つ」というのも単なる思い込みだったと気付かされた。
121日間で47都道府県を回り、およそ1万人のランナーが参加する今回の聖火リレー。
中でも、震災・原発事故の被災地やいまだに全ての住民が避難を余儀なくされている自治体など浜通りの10市町村を巡る初日の行程は、関係者をして「これを乗り切ればあとは問題ない」と言わしめるほどの難易度の高さだった。
「復興した姿を世界に知ってほしい」
「地域を代表する景観や名所を織り込み、地元の魅力発信や観光PRにつなげたい」
そんな地元の願いを県が精いっぱい盛り込んだ結果、聖火リレーは「きょうだい」の力を借りて「ワープ」を駆使し、みんなの夢を乗せて複雑なルートを大移動することになった。2日目の第6区間「猪苗代町」。
浜通りから中通りを抜けて会津地方に入った聖火は、磐梯山のスキー場に運ばれ、地元出身のオリンピアン、遠藤尚さんがトーチを掲げてスキーでゲレンデを滑り降りた。
予定では、このあとゲレンデの下からさらに3人のランナーが聖火をつないで猪苗代町でのリレーを終え、ランタンを介して聖火が瞬間移動する「ワープ」を経て、9分後にはおよそ50km離れた三島町で次のランナーが走り始めることになっていた。
只見川沿いの渓谷を見下ろす展望台。鏡面のような穏やかな流れにかかる鉄道橋を一望できるこの場所は、絶景ローカル鉄道として知られるJR只見線の沿線でも1番絵になる「撮り鉄垂ぜんの絶景スポット」だ。ランナーが走るのは、午後2時15分から10分間。
ゴール地点の展望台に到着した聖火ランナーの後ろを、1日6往復しかこの場所を通らないJR只見線の列車がゆっくり通過するよう計算されていた。しかし、自然のいたずらがこの計画を狂わせた。スキー場では、霧のため滑走開始が遅れ、強風でランタンに聖火を移すのに手間取ったことなどから、中継ポイントへの到着が10分から15分ほど遅延。このままでは、列車の通過時間に間に合わない…。
大会組織委員会は、聖火ランナーと通りかかった列車が巡り会う演出を優先することを決定。猪苗代町での聖火リレーをいったん止めて、後に控えていた3人のランナーを待たせたまま、先に第7区間「三島町」のランナーを走らせたのだ。
取材してみると…。
大会組織委員会 担当者
「鉄道橋を列車が通過する光景と聖火を一緒に写真や映像に収めたいと、かねてから地元が熱望していた。それを把握していたスタッフが現場で判断して柔軟に対応した結果達成できた事例で、問題はなかった」
新型コロナウイルスの感染が収まらず大会の開催に疑問の声が絶えない中で、「安全を最優先にする」として走り出したはずだが、沿道の観客には声を出して応援しないよう求める一方で、車列の先頭では大会スポンサーが車から音楽を流しながらグッズを配り、DJが「一緒に盛り上がりましょう」と呼びかけていた。復興五輪を印象付ける演出も、互いの距離も広げる時代とあって、打ち合わせがしにくいなかで、ぶっつけ本番ながら、火が消えそうになるのを「きょうだい種火」でなんとかつなぎ繋いでの福島3日間のリレーだったということに。
でも、まあいいじゃないの、元気をつないで灯が目的地に運ばれれば、参加することにあり、智慧をつかって複数に分けるのを不正とは呼ばないのだから、ガンバレみんなの東京五輪!
我孫子で嘉納治五郎先生(の銅像)が楽しみにまっております!
出典:ニュースウエッブ(4/8)
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