アメリカのバイデン大統領は19日、戦時中に日系アメリカ人が強制収容されたことについて、「最も恥ずべき時代の一つ」として、改めて謝罪する声明を発表しました。バイデン大統領は声明で、「アメリカの歴史の中で最も恥ずべき時代の一つで、日系アメリカ人であるという理由だけで標的にされ、投獄された。非人道的な強制収容所での暮らしを余儀なくされた」などと指摘しました。
声明は、第二次世界大戦中の1942年、当時のルーズベルト大統領が、日系アメリカ人の強制収容につながる大統領令に署名した日に合わせて出されました。戦後、レーガン政権が公式に謝罪と補償を行ったことを踏まえ、「連邦政府の謝罪を再確認する」としています。
バイデン大統領は、アジア系アメリカ人への差別に対応するための大統領令に署名するなど、人種差別の解消を重点課題の一つに掲げています。
出典:共同通信(2/20)
第二次世界大戦中の日系米国人の強制収用問題は、特定の民族的背景を持つ「米国人」を、その民族性を理由に不平等な扱いをしたことが問題とされた。同時期、ドイツ系やイタリア系米国人は財産没収や強制収容されておらず、民族差別が顕著であった。
強制収用問題の背景には、当時の黄禍論があった。中国系米国人への差別は、日系人以上であった。日系米国人は欧州戦線での活躍がなければ、米国人と同胞と見なされなかっただろうし、中国系米国人の権利獲得には、太平洋戦争が重要な意味を持った。
日系米国人への謝罪と補償が実現したのは、共和党のHWブッシュ大統領の功績と、あまり知られていないが、他の人種および民族の広範な支援と協力があった。しかし、当時日本の政治家による人種問題を揶揄する失言が続発し、彼らは「裏切られた」と失望し、その後、日本の民族問題に対する意識に批判的な世論が形成されたのが、残念ではある。
北米、中米、南米各国でアメリカの指示に殆どが従って日系人をアメリカに送ったが、送らなかった国が二国あった。
アルゼンチン、チリは自国の国民なのだから送る必要無しとした。
太平洋戦争末期にドイツが降伏してからも日本に友好的な態度を示してくれてたのは、二国だけだった。
勿論日本国の公使館も存在した。
他は全てアメリカに言われる通りに公館閉鎖。
敗戦後に連合国軍として米国が救助物資を送ったが、それ以外で、いの一番に救援物資贈ってくれたのもアルゼンチンだった。
1949年、アルゼンティンのペロン大統領夫人エバ・ペロンは、在留邦人の要望に応え、戦後の窮乏にあえぐ祖国・日本に対し、リオ・イグアス号に食糧その他の救援物資を満載して贈り届け、日本国民を喜ばせた。
日露戦争当時、バルチック艦隊との決戦に備えていた日本に対し、アルゼンチンから2隻の最新鋭巡洋艦「リバダビア」と「モレノ」が譲渡され、深い感銘を与えた。これらの2隻はそれぞれ「日進」、「春日」と名付けられ、日本海海戦で偉功を立てた。このときアルゼンチンから派遣され、戦況を観戦していたドメック・ガルシア観戦武官は、後に海軍大臣となり両国の長い友好の歴史において、強い絆となった。
チリが1883年に売りに出した軍艦「アルトゥーロ・プラット」は、日本が購入後「筑紫」と命名。また1884年には、同国の「エスメラルダ」を購入、「和泉」と命名されたこの軍艦は、日清・日露の戦争、特に後者で活躍し、殊勲艦となった。
2021年02月23日
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