2021年03月15日

幸せの国の理由

国連のデータによると、2015年世界中の移民数は2億4千万人に上り、世界人口の3.3%に当たります。
トップ10位の国々はそれほど大きな変化がありませんでした。

2018−2020年3月 国連より発表された「世界幸福ランキング」では、フィンランドが1位に躍進し、世界で最も幸せな国です。

移民の多くは「アジアと中南米」から「北米やヨーロッパ」へ移動しています。
フィンランドは自国民でも外来移民でも非常に高い幸福度を感じているのがわかりますね。

日本は昨年の58位から更に順位を落とし62位という結果になりました。
日本は、平均寿命で2位、所得では24位。しかし、社会の腐敗度は39位、社会的支援が50位と振るいません。
続いて人生選択の自由度は64位、寛容さに至っては92位という結果です。
参加国は153カ国です。ちなみに他の主要国の幸福度はというと、アメリカは18位、イギリスは13位、ドイツは17位、フランス23位、アジアでは台湾が25位シンガポールが31位、フィリピン52位、タイ54位、韓国が61位、この辺りが日本よりも上位という結果でした。

フィンランドの幸福度が高いのは、社会支援、自由度、社会腐敗度(の低さ)によるものです。
北欧に多く見られますが、医療費、教育費が無料である国はこの項目で上位にきています。

一度就職して、それが自分に合わないと感じたら何度でも学び直す機会があります。
実際、大学に何度でも通っている人が少なくありません。
それが一般的なこととして認められており、偏見もありません。
また、大学も卒業する時期は決まっておらず、卒論が完成すれば、いつでも卒業できるようになっています。

そのため会社も、就職する時期はバラバラですし、終身雇用や年功序列という概念もありません。
学歴社会の概念もなく、世界大学ランキングで上位の大学を卒業することが就職に大きく影響することもありません。
義務教育が終了した後は、大学を見据えて高等学校に進学するか、職業訓練学校に進むかを選びますが、どちらが優れているという概念はありません。 一つの方向に進んだら、それで人生が決まってしまう、というような考え方ではないのです。

本当に自分がやりたいことは何かを考え、チャレンジする機会に恵まれています。
他の視点からも人生選択の自由さを垣間見ることができます。
フィンランドでは事実婚が認められていますし、近年では同性婚も認めらるようになりました。
婚姻関係という概念は、日本ほど強くはない印象です。
片方の申請のみで離婚が成立するようですし、離婚した後でも普通に付き合いは続けている人も多いように聞いています。

結婚に関してもフレキシブルな考え方であるため、結婚という固定観念に束縛されるということが少ないのです。
北欧では当たり前なのかもしれませんが、女性の社会進出という点も挙げておこうと思います。
保育所などの受け入れ態勢や企業の理解もあるため、子供を持つ女性が働きやすい環境にあると言えます。
企業は採用面接時に、「小さな子供がいるかどうか」を聞いてはならないルールになっているようです。

医療についても大変充実しています。
経済面では一人当たりGDPでは22位(2019年度)と比較的高い順位にありますが、アメリカやイギリスほど資本主義を崇拝していないことが大きな背景だと思われます。政治に関してもクリーンな印象です。

直接関係があるかはわかりませんが、「仕事上の役割における自己」と「一人の生活者としての自己」を完全に分けて考えているようです。

フィンランドって「Low expectation, high satisfaction(過度に期待しない。だから、幸せ。)」の国なんじゃないかなと。
フィンランドでは、小さいときから「人それぞれ違っていていい」って教えられるそうです。学校の勉強でも、日本のように「正解はひとつだけ、それ以外は×」ではなく、どうしてその答えだと思ったのか、その答えにたどり着いた考え方を先生たちは尋ねるそうです。これもフィンランド人が自分のしあわせの物差しを持っている理由と思います。

フィンランドの冬。陽が出るのは朝の10時ごろ。と言ってもせっかく昇った太陽は、夕方のように低い位置にあって、そのまま4時ごろには沈んでしまいます。しかもそれは晴れている日だけ。フィンランドの冬は曇っていたり雪だったり、そんな日ばかり。暗くて寒くて長〜い冬を毎年過ごしているフィンランド人は太陽が出るだけで「今日は太陽が出てる、しあわせ」と言います。ごはんを食べれば「おいしいごはんが食べられてしあわせ」と言いますし。わたしたちが日々の生活で忘れがちな、小さくて普通で当たり前のことにとっても感謝していて、しあわせを感じている人たちなんです。

また、フィンランド人は物質的価値からしあわせを決めていなくて、もっと自分の心と身体がシンプルにしあわせだと感じることを大切にしているようなのです。例えばモノを買うことで得られる喜びやキャリアで得られる達成感はもちろん気持ちのよいことですが、それは浮き沈みのある幸福感だし、置かれた環境や他の人の影響で変わってしまいがちです。なにをしあわせと感じるかは、人の評価や外側からの影響ではなく、心と身体が自然と感じることにゆだねると、自分の内側から感じられるようになるんじゃないかなと思います。


出典HP:https://tabi-labo.com/294260/weekend-finland2閉鎖的で、自分が所属するコミュニティ以外への関心が低く批判的、理解しようとすることに消極的なのです。問題の1つ目は他の人、コミュニティへの無関心です。

寄付が少ないのは、決して日本人はケチな人が多いからというわけではありません。



事実、地震災害等、誰でも理解できる事象が発生し、公共の電波を通じて呼びかけられた募金や寄付には多くの人が呼応します。

地震災害は日本人であれば誰の身にも起こりうる事象なので、理解、想像しやすいのではないかと思います。



その上、テレビや新聞からは悲惨な状況が情報として大量に入ってきます。

それでようやく動けるのです。



本当は、知ろうと思えば、団体のことや、寄付がどのように使われたかを確かめることは意外とできます。

最近のNPO法人の中には、自分の寄付がどのように使われてどんな結果に影響したかをしっかりレポートしてくれるような団体も少なくありません。



結局、無関心から来る疑いなのだと思います。



問題の2つ目は他のコミュニティ、人に対して批判的ということです。

海外で生活をしたことのある人に多い感想として、「日本に戻ってくると息苦しさを感じる」というものがあります。

これは、私も大いに共感するところです。



本当に困った時、助けが必要な人は助けますが、困っていないとき、つまり通常は、周りの目が大変厳しいのではないかと感じます。

つまり、正常に動ける人、困っていない人には敢えて優しくする必要はないという考え方です。



他人に対して、高い水準での常識的行動を求めます。

バスや新幹線の座席のシートを倒すだけでも気を使います。

小さな子供を連れて公共の場所に行くときも批判的な視線は必ずあります。



地下鉄にベビーカーを押して入ったところ、舌打ちされたなんていう話も聞いたことがあります。

「混んでいる時間にベビーカーなんて持ち込むのは迷惑だ、非常識だ」と思われるのでしょう。



人に迷惑をかけないことを考えるあまり、他人に対する寛容さが欠けてしまっているのかもしれません。

またサービスの質が高いばかりに、自分はある程度の水準のサービスを受けて当然という心持ちになっているため、些細なミスや失敗に対しても批判的になり、過敏に反応しがちです。



互いに寛容ではないため非常に窮屈な社会になってしまっているのではないかと感じます。



出典:https://skaughh.com/world-happiness-2019/
posted by Nina at 00:11| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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