哲学者・中島義道は『表現者を批判する場合の九割が、じつはただ「不快だ」と言いたいのである。
そして、そのうちのさらに九割が、さまざまなかたちの(誤解を含めた)羨望や嫉妬に基づいている。』と述べていた。
人間は、まわりの評価や評判が気になる。人に認めてもらいたくて仕方のない生き物だ。
そこで、一部の人は、人を批判し、中にはこきおろすことで、自分の自己充実感を満たしている場合もある。
「おまえなんか嫌いだよ」「オレのが上だ」という了見の狭い思考になっている。
とくに匿名性の高いSNSではそれが顕著になる。といってその相手に、いくら自分の本当の考えや思いを分かってもらおうと、千万遍説明したところで分かってはくれない。
あのコペルニクスの地動説が正しかったのにも関わらず、認められたのは、およそ100年たってからだった。
それまでは、いくら事実をつきつけても時の権威や古い世代はそれを認めようとしなかった。
なぜ、100年たって地動説が認められたのか。それは宗教者、科学者の「世代交代」だ。
そのことを、トーマス・クーンは「パラダイムシフト」と言う言葉で現象をとらえた。
岡本太郎は次のように言っている。
人はだれしも成功したいと思っているけれど、99パーセントの人間は成功できない。
それができないからガックリきて疲労困憊する。
みんな人間の活動やエネルギーを算術みたいに考えているんだよ。
ある分量の蓄積があって、それを使ってしまえばだんだん減ってゼロになるっていうようにね。
そうじゃない。挑むからエネルギーが湧き出るんだ。疲れていようといまいと、それが生きるってことだ。
無条件に闘うことを前提として、自分をつらぬいていくことが大切なんだよ。
理解されないかもしれない。でも、自分が理解されないのは相手が理解できないんだ、しようとしなかったからだと思えばいい。
人はさまざまな誤解のなかに生きている。純粋に生きようとすればするほど、とんでもない誤解を受ける。
ほんとうの理解なんてあり得ないんじゃないかと思うくらいにね。
だれだって誤解されるのはイヤだ。
だがそれより、誤解されることを恐れて、自分が思ったことをストレートに表現しなくなることのほうがもっとよくない。
誤解されないようにと他人の目や思惑を気にして行動すると、やることがむなしくなってしまう。
それじゃほんとうに生きる、なまなましい、いのちの感動なんてひらくはずがない。
誤解するなら、してみろ!誤解こそ運命の飾りだと思って、己をつらぬいて生きてみればいい。
無条件に己れをぶつけて挑んでいけば、限界なんてないんだよ。
すべての人に分かってもらうことはできないし、すべての人から好かれることもできない。
「誤解するなら、してみろ!」と自分を生きていけば、理解する人もみつかるものだ。
2021年01月15日
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