立命館アジア太平洋大学学長、出口治明『出口版学問のすすめ』(小学館)で、この本のタイトルはもともと「死ぬまで勉強」でした。
出口教授は、人間は死ぬまで勉強をしたほうがいい、と思っています。それは、そのほうが楽しいからですと、述べている。
いま、世界ではコロナウイルスと人類が熾烈な戦いを繰り広げています。
人類の武器はグローバルな信頼と連帯です。
コロナウイルスの情報を交換・共有し、新兵器(ワクチンや薬)を共同で開発する、ここにこそ勝機があります。
そのためにも、謙虚に人・本・旅で学ぶ必要があるのです。
アメリカの大学は、基本的に定年という考え方がありません。
80歳を過ぎても教授でいるのは可能です。
「日本でそんなことをしたら、全員が教授になってしまう、若い人が採用できない」と思われるかもしれませんが、競争原理が働いているので、そんなことにはなりません。どういうことかというと、授業のたびに学生に採点されて、スコアが悪いとどんどん降格されたり、クビになったりするのです。
魅力的な先生は80歳を超えても教授でいられますが、30〜40歳の働き盛りの先生でも、学生に支持されなかったら授業を受け持つことができなくなるのです。だから、定年がなくても、「教授40、助教30、准教30」などという適正割合がきちんと保たれるわけです。
サボったら落ちていく、がんばったら上がるという基本的な仕組みがなかったら、社会は衰退していきます。
それと同じ原理、原則を、企業や大学をはじめ、日本中に導入すべきだと思います。
そうすれば、沈滞している日本を活気づけることができるだろうし、さまざまなものに対する好奇心もわいてくるでしょう。
人間が勉強するもう一つの意味は、次世代を育てるためです。
どんなに原始的な生物でも、次世代に命をつなぐために存在しています。
人間の場合は加えて大きな脳を持っているので、次世代のために、より良き未来を残すことが可能なのです。
そんな中で、われわれ大人はもう少しがんばって、この衰退の流れをどこかで反転させる必要があります。
ただ単に次世代にバトンをつなくだけなら、それほど無責任なことはありません。
まず大人ががんばって、そのがんばる姿を若者や子どもたちに見せる必要があるのです。
だから、大人も人・本・旅で学び続け、子どもと、さまざまなことを議論する環境が必要です。
専門的な小難しいことを話す必要はないし、場合によっては子どもに教えてもらってもいい。
とにかく学ぶことをやめなければ、未来に光は差してくると思います。
昨年は、コロナ禍により、世界は大きく変わった。
そしてその結果、人は大きく二分された。
一つは、勉強し、新たなことにチャレンジしている人たち。
会議や授業がリモートになり、商売の仕方も、働き方も、生活や会社に対する価値観も、大きく変わった。
このコロナ禍により、変化が一挙に加速した。その元にはデジタルがある。
デジタルの進化により、日々、多くのものが変化した。
しかし、このコロナ禍により、世界は今、リセットされた。
ここから、世界の国々が一斉にスタートラインに立ったということだ。
これが、日本復活の最後のチャンスかもしれない。
だからこそ、歳を重ねれば重ねるほど「新しい」ことを学ぶ必要がある。
「一年の計は元旦にあり」という。
老いも若きも、この2021年を失われた日本を取り戻すべく努力を重ねて、ニューノーマルの道を開いてきたい。
2021年01月02日
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