1951年、25歳のマーガレット・ロバーツはオックスフォード大学で化学の学位をとったにもかかわらず、国会議員の地位を見据えていた。離婚歴のある第二次大戦の兵役経験者で実業家のデニス・サッチャーと結婚した。マーガレットは結婚から2年後、妊娠中に法律の学位を取る勉強を始めた。『The Telegraph』紙の取材によると、将来は法律家として働くことを目指して休むことなく勉強し、双子のマークとキャロルを出産後、病院から司法試験の願書を送った逸話がある。
下院議員に当選してから1年後、彼女は初めての大演説を行い、その翌日には初のTVインタビューを受けた。そのインタビューは自宅で行われ、マーガレット:サッチャーは6歳になった双子と一緒に並んで座ったのだった。双子たちにとっても世間に注目されるデビューとなった日でもあった。
政治的にもっと目立つ役割を目指すかと質問されると、「最初は後ろの方の席に座っていようと思います」とマーガレットは答えている。「もちろん、この子たちがもう少し大きくなるまでは政治的に今より大きな責任のある立場につくことはできません。子育ての責任だけでかなり手一杯です」。実際、彼女がエドワード・ヒース首相政権下で教育大臣になったのは10年後のことで、首相に選ばれたのは、そのさらに10年後だった。
国会議員としてマーガレットと一緒に働いたマイケル・スパイサー卿によると、1995年に彼女は「もう一度やり直せたら政界には入らない。家族に影響を与えるから」と言ったという。実際には、彼女は人前ではこの問題についてもっと割り切った態度をとっていたようで、『The Telegraph』紙によると、「すべてを手に入れることはできません。自分の国の首相であるのはもっとも恵まれたことです。ええ、子どもたちともっと会えればいいのにと思います。日曜のランチを一緒に食べる時間はありません。スキー旅行にももう行けません。しかし、後悔はできません。それに私は子どもを失ったわけではないのです。子どもたちには子どもたちの人生がある。私は異なる人生を選んだのです」と『Saga』誌に語っている。
マーガレットが国会議員になってから比較的すぐに双子は学校に入った(マークは8歳で寄宿制学校に、キャロルはその1年後にプレップスクールに)。それでも、キャロルは回想録で、マーガレットは家庭のことに関わり、ピクニック用のランチを作る話をシェアしたり、自分で子ども部屋の壁紙を張り替えたり、娘に運転を教えたりしたと書いている。
娘のキャロルから聞いたことで、彼女は著名人である母親とは複雑な関係だったと主張している。「私が子どもの頃の母の記憶は全てスーパーウーマンだった母の姿で、そういう言葉が発明される前から母はスーパーウーマンでした。常に全力を尽くしていて決してリラックスすることがなく、国会の対応や演説作りに戻るために家事を猛烈なスピードでこなしていました」とキャロルはBBCのインタビューで語っている。
『黄昏のロンドンから』と題した本が日本でも話題になったほどのイギリスの斜陽をサッチャー政権の一時期、経済を立て直す手腕は、驚くべきものであったが、どれほど私生活、特に子育てを犠牲にしたかは、男性政治家の比ではないことは明白だ。なぜなら、女性政治家には妻がいないからだ。
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