老いたから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ。(バーナード・ショー/イギリスの劇作家)
20歳だろうと80歳だろうと、学ぶことをやめた者は老人である。学び続ける者は若さを保つことができる。(ヘンリー・フォード/フォード・モーター社創業者)
始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若くある。(マルティン・フーバー/オーストリアの社会学者)
さらに、厳格さと親しみやすさを併せ持ち、国民から敬愛されるエリザベス2世(1926年〜)について、94歳のご高齢ながら、好奇心を持って色々な物事に取り組んでいることが、品性、生き生きとした印象を保つ。
ウィリアム王子が子供のころに遊んでいるのを見て任天堂のゲーム機「Will」にハマったことがあったり、携帯電話を手にしたときはあっという間に操作に慣れ、スマートフォンも軽々と使いこなしていた。愛用のiPadは色違いで何台も所有し、クリスマス恒例の国民向けメッセージをインターネットのYouTubeを使って流したこともあった。機械にとても詳しい人だ。
若かろうが年を重ねていようが、「新しいこと」に興味を失ったとき、人は老いる。それは、「学ぶこと」をあきらめたということ。そして、「未来」に興味を失ったということでもある。子どもは、いつもワクワクドキドキしている。毎日が「新しいこと」「初めてのこと」ばかりだからだ。しかし、年を重ねるごとに、新しいことや初めてのことへの好奇心は薄れ、次第に過去に目が向くようになる。
過去に生きる人は、過去の人と会い、新たな出合いが生まれない。新たな出合いとは、多様性に挑むということだ。
それは職業や専門などのジャンルの違う人、年齢や性別の違う人、地位や学歴の違う人、違う地域や国の人、価値観の違う人たちと出合うこと。敬老の日、改めて新しい事へのチャレンジの重要さを考えてみよう。
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