2020年09月04日
いいとも!
8月31日、安倍首相辞任の会見があった。首相の体調悪化については、8月4日発売の写真週刊誌『FLASH』の“吐血”報道が火種だった。7月6日の首相動静に5時間の空白があり、永田町ではこの間に吐血したのではないかという情報がめぐっていた。
「笑っていいとも」32年日々継続(2014)に出演した安倍総理、2007の辞任と入院中の様子など軽妙なやり取りをみせていた。タモリも新聞の官邸の動静を新聞の告知欄で見ていて、分刻みに多くの人に会っている様子に驚くとねぎらう。首相は、ジムで汗を流し体力維持をはかっていると語る一方で、タモリの朝のランニング習慣に触れ、巷の話題もそれとなく目配りしていることをアピール。マイナス思考にならないよう、反省もしながらも前向きに過ごす、ゴルフは自然に触れながらリフレッシュしていると、辞めようかと思ったことはないという言う。そのうちに一緒に飲みながら、長続きの秘訣を語りましょうかと、タモリ・・・。
何事も、朗らかに話している余裕の方だった。生放送で、首相が通常の要人へのお土産にする「いちご」についても蘊蓄するが、人を飽きさせない話術の持ち主だ。いいとも恒例のスタジオアンケートでは、政治家と握手したい人をスタジオに来ていた100人にどのくらいいるかとタモリが尋ねると、だいたい30人位かと思ったが、若い女性が多いので5.6人かな、などの臨機応変の笑顔を交えたトーク力はタモリとみごとな掛け合いで余裕だった。官房長官時代に、ビストロスマップにも出演した話がふられ、翌日は木村拓哉が出演する、いいとものリレーとなった。
口ごもらない、さわやかな話しぶりはこれまでの政治家にないものがあった。
持病を克服しての総裁復帰戦へのチャレンジ、最長不倒の8年間、政策の志向性に完全一致は誰しも望めないが、寸暇を惜しんで国内外を渡りあるき、政策決定していく迅速な動きには、政治家のみならず、政財界人の誰しも敬服した。氏の包括的な愛情がある表現は、一種のユーモアを交える余裕であり、真似できないと海津にいなも敬意を表していた。兎に角、お疲れさまでした。
現在、官房長官の菅が、不破、岸田の三候補の中で最有力との下馬評である。早くも、衆議院の解散・総選挙について取り沙汰されている。
(敬称略)安倍氏について、Wikipediaでみると、戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣になって、第一次安倍内閣が発足後(2006.9.20)、約一年の在任の間に持病が悪化、2007年9月12日午後2時、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と涙をためての退陣を表明する記者会見を急遽行ったのは、記憶に鮮明であった。2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。
その後にチャンスがめぐってくるのは2012年、自由民主党総裁選挙への出馬表明。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、当時にメディアの注目度が極めつけに高かった橋下徹との接触により、国民の注目を引き付け、これを押し切る形での出馬となった。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足した。1度辞任した内閣総理大臣の再就任については、戦後では吉田茂以来2人目である。2020年8月24日、連続在職日数が2799日となり、それまで最長だった大叔父の佐藤栄作(2798日)を抜き歴代最長となった。
しかしながら、リフレッシュできないコロナ禍のなかで、持病の特効薬も効果がなく8月28日の会見で正式に辞意を表明し、「様々な政策が実現途上にあり、コロナ禍の中、職を辞することについて、国民の皆様に、心より、心より、お詫び申し上げる」と謝罪した。また、次の総理大臣が任命されるまでの間、引き続き職務にあたる考えを示した。
第一次安倍政権の末期、持病の潰瘍性大腸炎が悪化しておむつが欠かせなくなったとき、おむつを替えていたのが昭恵夫人。つらい時期に、朗らかな笑顔で下の世話をしてくれた奥さんに、総理も感謝して夫人が巻き込まれた問題にも当初は夫人をかばい、火消しに必死だったが、コロナ禍でも言動に慎みがないのには、内憂外患の極みだった。
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