2020年07月04日

Living matter

パリのコロナ禍での人種差別
フランスでも起ている「ジョージ・フロイド事件」、アジア人に向けられる「コロナ感染者」視は、仏在住アジア人というだけで罪を犯しているかのような気分に追い込まれ、次第に自分は本当にウィルスなのだろうかとすら自虐的になってしまった。「人種差別=いじめ」とは、正常な判断を時に人から奪い、自分が悪者であるかのような錯覚をもたらしてしまうものなのだと、この歳になって初めて学んだ。その時初めて、黒人と呼ばれる人々について思いをめぐらせたことがあった。何かあれば悪者扱いされ、「黒人だから」と半ば嘲笑されるような対象としてこの社会に位置付けられている彼らの辛さは筆舌に尽くしがたく、何よりも屈辱的である。ウィルスによる一時的な差別ではなく、それが一生続くのだ。
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73214?page=4

」「それは差別ではなく区別だ」「仕方のないことだ」「自然ことだ」「気にしすぎだ」「こだわりすぎだ」という言葉の数々に見出されるものこそ、マジョリティの特権である。気づかず・知らず・みずからは傷つかずにすませられる人々、いわば、「気づかずにすむ人々」「知らずにすむ人」「傷つかずにすむ人」こそが、特権を付与されたマジョリティである。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5ab3a41ecd3cca0fc2208f1aaa8304c61ff46019?page=6



9:00頃〜米国バレエ界にて活躍するダンサーへの人種差別


米国に行ってアートに進む進路選択
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
カテゴリ
日記(3540)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)